思索覚書

思索のための断片として

●書く事と考える事 どうにも体調が優れぬせいか、ほったらかしになってしまった。文章とは不思議なもので書き続けていないと、しばらく使われてなかったエンジンのように上手く動いてくれない。書く事はエンジン・オイルのようなものかもしれない。書かない…

見聞読考

見る、聞く、読む、考える。そして、徒然なるままに筆を走らす。 ●民主と専制 「司法とは、具体的な争訟について、法を適用し、宣言することにより、これを裁定する国家作用」と定義されている。法学入門書ぐらいしか読んだことのない素人の我輩でもウィキペ…

走り書き

今日中にあげられそうにないので、とりあえず書いたところまであげておくことにした。後日消す予定なのでコメント等は控えて欲しいが、消されてもよいならご随意に。三分割くらいにしようかと考えているが、どうなるかは分からない。とりあえずあげておけば…

「反知性主義」について(補遺)

先日の「反知性主義について」の短い雑感に対する補遺を記す。本館の続き物とも関連があるので、本館でもっと掘り下げた議論をしてみてもよいが、前日の覚書がさっと見てさっと書いた粗い議論なので、さしあたってもう少し突っ込んだところまで掘り下げ、研…

国制に関する思想について

気が付くと前回エントリから一週間以上経っていて、そろそろ四番目を更新せんといかんなあと思いつつ、中々考えがまとまらないでいる。書きながら考えるために、このブログがあるわけだが、読み返してみると、まあ、何と言うか、つまみ食い的なものをあっち…

自由主義の難しさ

最近、カントやらルソーやらを読み直しているのだが、如何せん発想が古い。もちろん、そうでない部分も多いが、それはどちらかというと新しい古いではなく、普遍的な問題なのであろう。カントの『永遠平和のために』(訳中山元、光文社文庫)を読んでいて驚か…

西洋思想史に関する雑多な覚書

本館のエントリのためにルソーとか、ロックとか、ミルを読み直しているのだが、たまたま見かけたエントリにあった、『思想地図』で交わされたというルソー解釈などに少々首を傾げる部分があったので、それについてと、西洋思想史について若干の覚書を残して…

モラル=全体性について

予定通りにまとまらないので、とりあえず部分的にエントリの形にしてみる。それにしても、考えを重ねて行くと、自分が意外に功利主義を否定していない事が分かって、どうしたもんかと悩む。ミルはともかく、ベンサムなどに至っては生理的嫌悪感と吐き気を覚…

国家とその擁護のための予備的考察の覚書

●但し書き Pingをちゃんと飛ばしているはずなのだが、どうにもアンテナへの反映が遅れているらしい。理由はそれだけではないのだが、作業中にフリーズすると怖いので、覚書を積み重ねていくという意味ではなく、その日のうちに加筆するという意味での漸化式…

歴史と文学についての覚書

●誤解への弁明 「人間は事実を前にすると、きまってその真相を求めることよりも、理由を求めることに没頭するようである。事物をほったらかして原因を論じることに没頭するようである」(――モンテーニュ『エセー』) 思想史的な話を敷衍し過ぎたために、かえっ…

社会契約説と自然法についての覚書

『物語三昧』というブログの執筆子が、 社会契約と自然権を軸にアメリカについて エントリで対話なさっておられる。 ★参照:http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080419/p8 中々興味深い対話ではあるのだが、 いくつか異見を抱いたので、 それに関して…

世界連邦と主権国家

●但し書き 覚書、中途の思索につき後々 本館にて補筆、再考のうえ掲載。 こちらで二、三書く、 漸加式の予定。 まとまりに欠いているため、 以降、読む方は諒とされたし。 ●保守とリベラル、雑感。 思索とは異質なもの(特殊)との間を通じて、 普遍性を目指す…

良心と倫理

日本の言論というのは、 素人玄人の違いを抜きにしても、 感情と美意識を根底に 個人的な良心と倫理の不均衡で 彩られているように思われる。 元より社会的関心抜きに 個人的良心など成り立つはずがないし、 あるいは個人的良心を顧みない 倫理は狂信と区別…

修正主義について

修正主義という言葉は、 ファシズムと同じく 最早罵倒語としてしか用いられないが、 原義に即せば必ずしも悪い言葉ではない。 要するに「re-vision」見直すのである。 この言葉はいわゆる右派に対して、 あるいはより端的に言えば、 「つくる会」の教科書に…

ピエテートと知識人について

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/11/post_00f6.html まだやってたのか、 というのが率直な感想だが、 このマックス・ヴェーバーの 「ゴシップ」の是非は置いておくとして、 実際、ヴェーバーという人は 「愛」という言葉を使わない。 …

「帝国」と「Empire」

ラテン語に語源を持つ「Empire」という言葉は、 通例、「帝国」と訳されてきたが、 場合によってはむしろ「単一制」 とでも訳した方が適切なのではないかと思う。 「帝国」という漢語と 「Empire」という英語とでは、 意味も成り立ちもまったく違う。 やはり…

ディベートなんていらない

どういう経緯か知らないが、何時の間にやら ディベートなるものが持て囃されて、 大学の講義などでも導入したりしているそうだが、 あんなもの一体何の役に立つのだろう。 トピックなり、イシューなりを策定して、 それに反対か、賛成かなんて、 お遊戯のデ…

市民という言葉

しっくりこないが、 世間的には定着してしまった言葉に 「市民(社会)」とか「国際社会」、 という言葉がある。 後者の方は実にヘンテコな言葉で、 国際関係論の二大思潮、 リアリズムとリベラリズムのどちらも 「国際社会」をアナーキーと見ることに もはや…

二つの自由主義

結局の所、自由主義というものは、 19世紀に根本的な面において完成してしまった、 あるいは進歩をやめてしまったのではないか。 より、挑発的に言えば、20世紀の諸革命、 即ちファシズムとコミュニズムというものは、 この自由主義に対する反逆であり反動で…

議論における中立性と多様性

「ジェンダー」という言葉自体は比較的新しい言葉であるが、人間の本性を自然と社会との二つに分けたルソー以来、発想としてはそう目新しいものではない。自由主義や仏啓蒙思想の平等主義を源流とする歴とした近代思想の一つである。但しそれは一つの視点に…

現代の思想風景について

「思想狂いは亡国の兆し」。こういう皮肉をたれたのはニッコロ・マキアヴェッリであったろうか。実際、古代ギリシアのアテネにおいてソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者達が綺羅星のように現れたのは国が傾きつつあった時代であった。ソク…

ニコニコ動画について

我輩が定期的に読んでいるブログの幾つかは 最近ニコニコ動画の紹介や それに関する考察に特化していて、 自然にそれらを巡る問題も ネット上の流行に疎い我輩も知る事になった。 以前に本館の方のエントリで ネット上のコミュニティの有り様に関して、 それ…

晨と夕

池袋駅の長く入り組んだ薄暗い通路にぼさぼさの髪をした浮浪者が枯れ枝のような手で膝を抱えて座り込んでいる。生気の失せた黒い眼を通行人に向けているが、視線を交わす通行人は一人も居なかった。ここでは誰もが頭を上げて歩いているが、彼らは何を見てい…

現実と迷信

占いは良く当たる。 ただし、主観的事実として。 客観性が皆無と言うだけの事だ。 当たらぬも八卦、当たるも八卦である。 迷信を愚昧であるとして退けるのは良くない。 この世に確かな物など何も無い。 無い故に人は確信をもって語ることを欲する。 また、そ…

動機など気にしない方がいい

常々思うが世人やマスコミの中の人たちは どうしてああも動機にこだわれるのであろうか。 あるいはこれは日本人全体に言える事なのかもしれないが、 動機や原因を突き詰めて悩む事が 良い事だと思っている節がある。 精神病やカウンセリングなどでも言える事…

近代精神

資本主義の精神は前近代社会の倫理の 否定の上に成り立っている。 マックス・ヴェーバーの指摘した プロテスタンティズムの倫理だけでは不十分である。 資本主義の精神は三つの支柱によって成り立っている。 第一は、ヴェーバーの指摘した勤労のエトスである…

進化と保守

社会や自然の本質は保守的である。 それ自体が維持を目的として 秩序という意志を発生させるのであるから、 それは本質的に保守的にならざるをえない。 イノヴェーション、エヴォリューションは何故起こるのか。 市場における新興企業による新しい分野の開拓…

知識人と刃物

今昔を問わず、 知的な影響を受けやすい人々というのは、 新しい言葉や概念が好きなようである。 その様子はあたかも 初めて小刀を持った子供のようで危なっかしい。 万能ナイフのように何でも切れると思い込んでいるから、 刃がどんどん欠けていく。 始末が…

ブログとSNSについて

ブログとSNSに関する省察の覚書。 思い付き故にさほど深いものではないし、 技術的な話も出来ない。 あしからず。 ネットに関して「ウェブ2.0」だとか そういう議論が為されているようだが、 我輩はそうした議論にあまり関心を持たない。 白黒テレビがカ…