国制に関する思想について


気が付くと前回エントリから一週間以上経っていて、そろそろ四番目を更新せんといかんなあと思いつつ、中々考えがまとまらないでいる。書きながら考えるために、このブログがあるわけだが、読み返してみると、まあ、何と言うか、つまみ食い的なものをあっちこっちに撒き散らしただけという感がなきにしもあらず。読書によって思考を固めると、自分が凝縮させているのか、単に中毒に陥っているのか分からなくなる時がある。


この点、我輩はハイエクの設計主義的設計主義という捉え方をあまり好ましいものだとは思わない。啓蒙主義は設計主義的である点に問題があったのではなく、“先行する何か”に対して無自覚あったという点に問題を見出すからである。ハイエクの自生的秩序にしても、ヒュームの習慣的黙諾にしても、あるいはバークの時効の国体にしても、むしろ社会契約論以上に歴史的事実に立脚している。それらでは、権力や政府の契機性や正当性を説明したことにはならないし、かといって功利主義者のように端からそれを投げ出している(――というか、彼らの理論の必然的帰結として、それらは重要なものと看做されない。この点、我輩は功利主義者にすこぶる不満である)わけでもなく、少々中途半端な印象を受ける。要するに、結果論、帰結主義に過ぎないじゃないかと思うわけである。


先日書店に立ち寄るとド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の岩波文庫版の最終巻が平積みされていたが、我輩はデリダみたいなハイデッガーの二番煎じやら、ラカンみたいなフロイトの残り滓やらを読むくらいなら、十九世紀の思想に今一度向き合ってみる必要があるのではないかと思っている。ハイエクの設計主義的合理主義と自生的秩序の対比にしても、すでにJ・S・ミルが『代議政治論』において射程に収められている。彼は実用的な技術として考案されたものと看做すベンサム的な功利主義と、政府を一種の自然の産物と看做し、政治学を自然史の一部門と見る保守主義やヒューム的な功利主義の超克を目論んでいた。この種の政治制度に対する背反する二つの見方の延長線上に、基礎付け主義と反基礎付け主義があるのではないかなと考えているのだが、ローティなど最近の思想はあまり熱心に読んでいないので、正直なところ良く分からない。後者は倫理における「Cause」の意味が、目的と原因(手段)との間の分離がほとんどないという意味で、基礎を欲しないのだろうか。


ところで、中島岳志氏が『アルファ・シノドス』の「保守・右翼・ナショナリズム」というセミナーで、「国民の側からの国家への禁止の体系が憲法なのであり、義務などを盛り込みたがる右翼や保守は憲法を知らないというふうに指摘されておられるが、たとえば、アメリカの連邦憲法などは列挙条項式、すなわち「議会は徴税権を有する」のような、「政府は何々することができる」式の憲法であって、中島氏のような考えは必ずしも一般化出来ない。あるいはそうした考えは社会権生存権など、いわゆる積極的自由権を当然否定しなければ、論理としての一貫性が失われる。この辺の自覚が宮台氏などもかなり薄いのではないかと見られる。


また、「イギリスの場合は成文憲法がない。なので、歴史が律しているという判断のもと、それを担保する何かがしっかりしているという大前提がある。歴史によって今の政府が牽制・規制されているから、その歴史からの逸脱は許されないということになっている」とあるのだが、これもまた誤解を招きかねない表現である。「成文憲法」がないという表現だと分かりにくいのだが、「成文憲法典」つまり、特別な単一の法典としてまとめあげられていないと言った方が分かりやすいのではないかと思う。ブログなどウェブ上の言説を読んでいて見かけるのだが、イギリスは不文憲法なので憲法改正が出来ないと思い込んでいる方が少なからずいらっしゃる。これは大きな間違いで、イギリスの憲法は通常の議会の制定法の内、特定のものをピックアップしているだけで、当然のことながら議会の制定法の範囲内であれば改正も廃止も可能である。モンテスキュー以来、ハイエクに至るまで、イギリスのコモン・ローを妙に美化する人々が居るのだが、我輩は単に特殊イギリス的な体系に過ぎないと考える。


我輩が中島氏に抱く最大の不満は、彼の保守主義観(――というよりは思想史解釈の違いか)が、あまりに無難でつまらないことだ。いい加減、E・バークから導入する議論は正直飽きたし、そもそも、それでは近代保守主義しか収まらない議論なのではないかと思う。或は保守主義といっても、同時代のド・メーストルと対比してみても、違いが少なくないことが分かる。また、バークは明確に保守主義という名称をもって掲げたわけではないし、そもそも彼の著作に「Conservative」という言葉は頻出しているわけではない。つまるところ、革命以後の保守主義者バークと以前のホイッグ最左派バークとをどう考えるかという問題がある。あるいはトーリー史家ヒュームとの連続性をどう見るか。ヒュームは政治的にはホイッグだったが、歴史家としては『イングランド史』において、バークをはじめホイッグが賞賛してやまなかった「古来の国制」、ノルマン・コンクェスト以前に自由な社会があったという歴史観を否定している。単純に言えば、社会進化論に近い考え方をしていたようだ。


イギリスの憲法といえば、瀧井一博氏がジェームズ・ブライスの「Flexible Constitution」と「Rigid Constitution」について、「軟性憲法」と「硬性憲法」と訳すのは、「Flexible and Rigid Constitution」におけるブライスの考え方に照らすと間違いで、それらは「柔軟な国のかたち」と「硬直した国のかたち」と訳すべきなのだと述べておられた。瀧井先生の『文明史のなかの明治憲法』のよいところは、伊藤博文山県有朋をバランスよく評価されていることだが、このブライスの「国のかたち」の議論を広げれば、前者が伊藤であり、後者が山県ということになるのだろう。先の言葉を少々硬い表現でなおせば、「動態的憲法観」(伊藤)と「静態的憲法観」(山県)になるだろうか。


我輩は今日の護憲派を自任する平和主義者が後者の憲法観に凝り固まっていることを危惧する。いみじくも福田恒存が言ったように、それでは法律の条文を守ることはできても、憲法を守ることも憲政を営むことも出来ない。現行憲法を守りたいのであれば、論理的帰結として、なおのこと改正が必要なのではなかろうか。つまり、欽定憲法の呪縛を解くためには我が国の君主制の廃止しなければならない。現行憲法という二枚舌は国民主権と定めながら、実際には国事行為なる統治行為を天皇に担わせている。NHKスペシャルで民間の憲法案を元にしたり、適正な改正手続きに則ったという点を強調した憲法制定史の番組を放送していたが、しかし、それらを強調すればするほど主権の変更問題が表面化せざるをえない。したがって、我輩は二者択一しかないと考える。即ち国民主権を採って君主制を棄てるか、君主制を採って国民主権を棄てるか。我輩は「国民主権」なんぞに拘らず、「君主主権」の「君民同治」で良いじゃないかと考えているが、民意が前者を選ぶならば、それも致し方なし(廃位ではなく、革命式に吊るすという選択であれば、我輩は断固拒絶する)と思う。何れにせよ済し崩し的にやるのはやめて欲しいものである。