思索のための断片として


●書く事と考える事


どうにも体調が優れぬせいか、ほったらかしになってしまった。文章とは不思議なもので書き続けていないと、しばらく使われてなかったエンジンのように上手く動いてくれない。書く事はエンジン・オイルのようなものかもしれない。書かないで居れば、読む量が増えるかと言えばそうでもなく、やはり書いた方が遠回りではあっても書物への理解が捗るようだ。まめな整備が耐久寿命を延ばすように、書く事で構想が先走るのを休め、即興で狂った音程を調律し、迷子にならぬように里標を定める。


どうでもいい事だが、プロであれ、アマチュアのブロガーであれ、書いている事にはまったく賛同出来ないし、時として軽蔑すら抱かせる書き手が、馬車馬の如く文章を量産しているのを見ると、内容の是非はともかくとして畏敬の如き念を我輩に抱かせる。自分には到底出来ない事に対して、良くも悪くも驚異を覚える事を隠せないのである。だが、この種の心理が信じ難い犯罪行為等にも向けられる時、それを口にする事を憚るくらいの自制心は持ちたい。この種の誘惑は自発的意志に対する欺瞞でしかないのであるが、またそうであるが故にしばしば好んで自ら嵌まり込んでしまう。結局のところ、善悪は意志の問題ではなく、その行為においてのみ当て嵌まる。したがって、意志が自由であるか、否かはさして重要な事ではない。


●統治と自由


統治について色々考えている。毎日新聞をめぐる諸問題が、ネット界隈では喧しいようであるが、問題としてはまったく新しいものではなく、むしろ古典的命題に帰するように思われる。つまり、「何人も自らの裁判官足りえぬ」という契約論者たちの命題である。ロックの調停者としての国家にも言える事であるし、或は冷徹なホッブズの裁定者としての「リヴァイアサン」にも言える事であろう。皮肉な事に彼等は自由主義者であるが故に、諸個人の徳には期待しなかったのである。自己保存の本能を持つ個人が互いの所有権(property財産権と権利)を侵さぬための権力であり、奇異に聞こえるかもしれないが、権力はそうした自由(所有権)を“相互に配慮させる”事を強制させているのである。少なくともロックやホッブズらにとって「自由」は、古代ギリシア的な「自立」の意味(――この点、哲学は反政治的色彩が強かった。故に古代のローマ人たちはこの多くを拒絶したのである)ではなかったし、また今日の我々が抱く様な抽象的な(――であるが故にほとんど意味を成さない)「自由」とも異なり、結局のところ財産や所有権の類に帰する性格のものに思われる。


近代的共和主義者マキアヴェッリ(――彼はルネサンスが生んだ近代人であり、最大の政治的ヒューマニストである。彼は批判的にキケロなどの古典に向かったという点で、同時代の共和主義者と大きく異なる)も財の増加と自由を結びつけて論じている。I・バーリンは「自由」を積極的自由と消極的自由とに分けたが、自由主義者(契約論者)や近代共和主義者(マキアヴェッリ)らの「自由」を政治(思想)的自由、古代ギリシアの哲人やナザレのイエスといった人々が考えた自由は、良心や信仰の部類に入るものではなかろうか。良心への自由は、一方で倫理的な担保を求める事が出来ない。つまるところ、自由は原理足りうるのだろうかという疑念が生じる。


●国家、経済、民主主義


20世紀は不幸な時代と振り返られる事が多いが、少なくとも政治と経済との関係においては蜜月の時代であった。福祉国家とは要するに政治経済体制の事であったし、国民国家は国家と民主主義を固く結び付けていた。この点、マルクスレーニンは政治と経済との一体化への洞察が乏しく、彼等は19世紀を超える存在ではまったくありえない。むしろ、ヒトラースターリンこそが20世紀の政治思想においては重要な存在であり、“革命的存在”であったと言えよう(――我輩はレーニンこそが“反動”であったと考える。即ち19世紀的な自由主義に対する……マルクスにおいては果敢な挑戦であり、レーニンにおいては甚だ時代錯誤的な試み、繰り返される歴史とやらの二度目の喜劇として……)。今日、ファシズムに怯える人間は少ないが、マルクス(とその思想)が19世紀を超えるものではないように、良かれ悪しかれファシズムもまた20世紀を超えるものではありえない。グローバル化は国家を相対化し、国民経済を過去のものとし、そして、復権した自由主義者は政治と経済を分離し、福祉国家を破壊した。今日、圧倒的な印象を与えているのは“不在”の存在である。


資本主義の精神が私欲の肯定に過ぎない以上は、その精神は端的に言って反倫理である。資本主義は自由な個人の欲望を充足はしてくれるが、倫理的な希求に対しては何ら与えてくれない。だからこそ、勃興期から今日至るまで、反資本主義は絶えないのであり、奇異に聞こえるかもしれないがそれは倫理的な形をとってあらわれる。労働者の、国民の、信仰者の平等と楽園。ナショナリズムが最悪の形態をとるのはこうした反自由、反資本主義においてである。何故なら必然的に排外的に振舞わざるをえないからである。戦前の日本然り、ドイツ然り(――ナチス・ドイツというある意味では正しいが、結局のところそれは“意図された”断絶しか意味をなさないであろう。つまり、“われわれ”の内でしか通じない。それはかえって“われわれ”と“かれら”との間にある暗い淵を強調する事になろう)。こうした現実において「人権」は何ら意味をなさない。何故ならヒットラーとその使徒たちにとってユダヤ人は人間ではなかったからだ。「人間ではない」というマニフェストに対して、人権の宣言に一体如何なる意味がありうるだろうか。だからこそ、H・アーレントは「人権」の名のもとにプロテストしたのではなかった。彼女は「ユダヤ人」として、「ユダヤ人の権利」を高らかに主張し、そして、自らの権利を守るべく闘ったのである。


我々は権利の普遍性についてばかりを考えているが、それは所詮絵に描いた餅にもならないだろう。権利や原理の問題よりも、如何にして抗議はなされるべきかについて考えるべきではないだろうか。何故なら普遍的原理が共有されていないのであれば、必然的に原理や権利よりも闘争が先に現れる事は避け難いからである。少なくとも自由主義的な憲法(法)において重要な事は、闘争が如何になされるべきかについて書かれている事である。自由な社会において、ある考え方が斬新であるとか、優れているとか、劣っているとか、そうした判断の問題は二次的な問題に過ぎない。党派は避け難いのであり、党派そのものを否定し、無視したような制度は永きに亘って機能する事は難しい。党派性を一次的に捉えれば、必ずや正統と異端の問題を取り扱う羽目に陥る。然しながら、一方で、統治はなされなければならない。良心と倫理と、自由と統治との間には埋め難い溝が存在する。しかし、前者を否定すれば個人としての彼の死を、後者を否定すれば社会に生きる彼の死を意味する。元来対立しあうものを両立させねばならない。我々は揺らぎの中に生き、両者の間に空に何かを見出そうとしている。