線引きの問題


薬害肝炎の問題が
世間の注目を集めているようだが、
あの和解修正案以上のものは
さすがに出てこないのではないかと思う。
理念をあまりにリジットに
捉える運動家たちというのは、
合理的でもないし、
規則を重視している訳でもない。


「政治決断」云々というフレーズは、
どこぞのちょびひげ伍長を彷彿とさせるが、
おそらくこの種の言葉を使う人々に
その自覚はあるまい。
悪党になれるならよい。
それもまた一つの術であろう。
だが、それを悪として為せるほど、
肝っ玉の大きい人間はそうは居ない。
大抵は他人の良心を盾に、
倫理を矛と成して突くだろう。


この問題を見ていて連想したのが、
北朝鮮による「拉致問題」である。
被害者が死んでいる、
死んでいないはどうでもよい。
問題はどこをもって解決とし、
或はどこまでを問題とするのか、だ。
その辺をいい加減冷静に
検討せねばならんのではないか。


ある種の線引きをしないと
あたかも永生する神の如く、
延々と問題が続いていく。
毎年、毎年、新たに
慰霊者名簿を加えていく
広島、長崎の原爆被害者などが
その典型であろう。
あれだってある意味では宗教であり、
その点では靖国神社と大差あるまい。


この種の合理的装いを纏った非合理は、
論理的でもないし、倫理的でもない。
ただある種の潔癖症じみたものに過ぎない。
美意識に近いそれが良いことなのか、
悪いことなのかは判断に苦しむ。
ただ、そうでないものを
あたかもそうであるかの如く語る事は、
自己欺瞞に陥りやすいのは確かだろう。