2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

本と装丁

未だにHPは更新されていないようだが、 ようやく近くの書店でも 『福田恒存評論集』が棚に並んでいた。 それなりに大きい本屋なのだが、 一冊だけのようで棚にぽつんと縦置きされていた。 棚の下の平台に吉本隆明の新著が 平積みされているのを見ると、 ぼ…

クローズアップ現代 NO.2503

11月29日(木)放送 プーチンは“皇帝”になるか 〜ロシア下院選・大国の行方〜 12月2日のロシア下院議員選挙。主役となっているのは、来年で任期切れとなるプーチン大統領だ。与党の比例代表名簿の1位に名のりをあげ、首相就任を睨むなど、退任後も実…

福田恒存評論集

昨日発売日だったのだが、 近場の大型書店にはまだ入っていないらしく、 アマゾンも当日から在庫切れ扱いになっていて、 おそらくは納品が遅れているのだと思われる。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4892055484 (追記:これを書いている最中に入ったら…

むなしさの周波数

「ブログがつまらない」とかどうとか、 そういう“つまらない”議論があるらしいが、 そんな事で言い合っていて 空しさを感じないのだろうか。 ブログを書く事には頭を使うが、 知性はとりたて特別な地位を占める訳ではない。 独りで飯を食っている時に感じる…

エゴイズムという迷宮

最近の若い人々というのは、 年寄りが思っているほど切れやすい訳ではなく、 むしろやさしい人が多いような気がする。 アルバイトの若い店員の接客は大抵丁寧だし、 切れるというのは別段若い人に限らないし、 大体、元々我が民族は切れやすいらしく、 戦国…

「帝国」と「Empire」

ラテン語に語源を持つ「Empire」という言葉は、 通例、「帝国」と訳されてきたが、 場合によってはむしろ「単一制」 とでも訳した方が適切なのではないかと思う。 「帝国」という漢語と 「Empire」という英語とでは、 意味も成り立ちもまったく違う。 やはり…

拉致問題と言論について

「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」 通称「家族会」の横田滋代表が辞任せられ、 副代表の飯塚繁雄氏が新たに代表となった。 拉致問題が国民的一大問題と認識するに至ったのは、 地道な活動を行ってこられた 横田前代表の働きによるところが大きい。 病身…

ディベートなんていらない

どういう経緯か知らないが、何時の間にやら ディベートなるものが持て囃されて、 大学の講義などでも導入したりしているそうだが、 あんなもの一体何の役に立つのだろう。 トピックなり、イシューなりを策定して、 それに反対か、賛成かなんて、 お遊戯のデ…

市民という言葉

しっくりこないが、 世間的には定着してしまった言葉に 「市民(社会)」とか「国際社会」、 という言葉がある。 後者の方は実にヘンテコな言葉で、 国際関係論の二大思潮、 リアリズムとリベラリズムのどちらも 「国際社会」をアナーキーと見ることに もはや…

外来魚

今上が皇太子時代に持ち込んだとかで、 最近また外来魚が話題になっているが、 養殖とかの実験は今でもやっているんだろうか。 鯰とかがそうなのだが、 水質の調整や餌を変えたりすると、 生臭さが抜けて食べやすくなる。 ブルーギルの方はちっちゃくて食い…

二つの自由主義

結局の所、自由主義というものは、 19世紀に根本的な面において完成してしまった、 あるいは進歩をやめてしまったのではないか。 より、挑発的に言えば、20世紀の諸革命、 即ちファシズムとコミュニズムというものは、 この自由主義に対する反逆であり反動で…

粘菌のように

トラックバックを飛ばしたつもりが、 何故か飛んでいない。 前回の書いてる最中にログアウトされたりと、 ついてないのか、それとも我輩が悪いのか。 まあ、今日日、 カウンターやらリンクやらで 被言及は先方にすぐ伝わるから、 後から送るのもあれだが、 …

あんパンなんていらない。(Ver.Teazated)

あんパンは悩んでいた。 自分が本当にパンと呼べるのかを。 本当は饅頭じゃないのか。 単にあん饅頭を焼いただけじゃないのかと。 食パンは悩んでいた。 パンの耳も食パンと言えるのか。 パンの耳のない食パンは一体何なのか。 カレーパンは悩んでいた。 カ…

竹内好「近代の超克」

「近代の超克」関連の本を趣味で読んでいるのだが、 やはり竹内好のものが一番読んでいて面白い。 要するにアジアにおいて思想枠の不在は ごく“普通”のことに存するのにも関わらず、 西洋思想との接触との結果、 (それは特殊ヨーロッパ的な思想枠に過ぎない…

じんせいうまくいかない

書いている間に勝手にログアウトされてしまったらしく、 登録ボタンを押したら見事に消えてしまった。 まあ、この間みたいに怒り出す人が出そうな 内容だったし消えてしまってもいいか。 成功失敗にかかわらず世は全て事もなし。 しゃんめえ、しゃんめえ。

ぜつぼうごっこ

量は質ではない。 質は量ではない。 実に当たり前なことであるが、 言葉に限って言えば、 それは容易に混同されるようである。 多くの言葉を知っていても、 適切でなければ何の意味もないというのに。 絶望やら非難やら罵倒やらが、 物を変え場所を変え、 あ…

議論における中立性と多様性

「ジェンダー」という言葉自体は比較的新しい言葉であるが、人間の本性を自然と社会との二つに分けたルソー以来、発想としてはそう目新しいものではない。自由主義や仏啓蒙思想の平等主義を源流とする歴とした近代思想の一つである。但しそれは一つの視点に…

オルテガ『大衆の反逆』

目ぼしい書評をグーグル先生に見繕って貰った所、 「大衆」の暗黒面を強調した理解が多い。 思うにそれは読みが浅いのではないか。 『大衆の反逆』のオルテガは、 以下のような「近代」解釈をしている。 近代文化への信仰は悲しくも淋しい信仰であった。明日…

凡庸なあまりに凡庸な

満を持してと言うよりは今更な気がしないでもないが、 宮台真司氏が赤木論文に対するコメントを出されておられる。 「赤木智弘著『若者を見殺しにする国』(双風舎)へのコメント」 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=579 http://sofusha.moe-nifty.c…

軽い時代の軽い知性

軽い時代には軽い思想しか流行らないのかもしれない。 学生運動を経験した世代の 教条主義にもうんざりさせられるが、 それ以降の軽い知性にもげんなりする。 若手の評論家が書いた 石原莞爾についての本を紐解けば、 未だに関東軍の電撃戦のイメージで彩ら…

ことば、コトバ、言葉

石原都知事という人は直感的な人物らしく、 しかも根が直情的だから しょっちゅう舌禍事件を引き起こす。 随分前にフランス語は国際語失格だのと言って、 裁判沙汰になったことなどその典型であった。 ただ、あの事件において、 フランス語が国際語として失…

赤木論文に関する覚書

『チャトランガ夫人の恋人』というブログの 「まったりするにも金がいる」*1と題したエントリで 「赤木論文に応答すべきだったのは、佐高信や福島みずほではなく、宮台真司だったのではないか。しかし、弱者男性の情緒を煽ることで自分のスタイルを確立して…

現代の思想風景について

「思想狂いは亡国の兆し」。こういう皮肉をたれたのはニッコロ・マキアヴェッリであったろうか。実際、古代ギリシアのアテネにおいてソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者達が綺羅星のように現れたのは国が傾きつつあった時代であった。ソク…

「ケータイ」文化と若い世代

この頃は馬鹿の事を「ゆとり」という風に 腐すのが流行のようである。 権威を馬鹿にして茶化す現代の江戸っ子、 2ちゃんねらーの中の人たちも、 10代の携帯電話を中心とした、 絵文字顔文字の表現、 所謂「ケータイ小説」などに関しては、 かなり辛辣に揶…

二党制について

民主党の小沢代表は随分と先走ったが、 まあ、分からない話でもない。 93年の非自民連立政権から14年、 2000年の自自公から7年ぐらい経つから、 政権(自民出身者も含め)を経験したことのある議員が どんどん引退してしまう頃だろう。 15〜20年…

ニコニコ動画について

我輩が定期的に読んでいるブログの幾つかは 最近ニコニコ動画の紹介や それに関する考察に特化していて、 自然にそれらを巡る問題も ネット上の流行に疎い我輩も知る事になった。 以前に本館の方のエントリで ネット上のコミュニティの有り様に関して、 それ…

晨と夕

池袋駅の長く入り組んだ薄暗い通路にぼさぼさの髪をした浮浪者が枯れ枝のような手で膝を抱えて座り込んでいる。生気の失せた黒い眼を通行人に向けているが、視線を交わす通行人は一人も居なかった。ここでは誰もが頭を上げて歩いているが、彼らは何を見てい…

上野辺りを逍遥

上野界隈をぶらぶら歩く。 アッチ方面に興味のある人なら知っているかもしれないが、 上野にはゲイ・コミュニティーがあって、 何でも闇市の頃からあるらしい。 まあ、今日死語と化したパンパンの陰間版。 進駐軍相手の男娼が世上の安定にともなって、 山か…

日本の天地は複雑怪奇

現状において政権を獲得維持する事が 可能であるにも関わらず、 福田首相が大連立を打診されたのことであるが、 政権構想をある程度摺り合わせる事もせずして、 このようなことをお考えになるのは理解に苦しむ。 仮に連立工作が成功したとして、 これではま…

現実と迷信

占いは良く当たる。 ただし、主観的事実として。 客観性が皆無と言うだけの事だ。 当たらぬも八卦、当たるも八卦である。 迷信を愚昧であるとして退けるのは良くない。 この世に確かな物など何も無い。 無い故に人は確信をもって語ることを欲する。 また、そ…