ニコニコ動画について


我輩が定期的に読んでいるブログの幾つかは
最近ニコニコ動画の紹介や
それに関する考察に特化していて、
自然にそれらを巡る問題も
ネット上の流行に疎い我輩も知る事になった。


以前に本館の方のエントリで
ネット上のコミュニティの有り様に関して、
それは匿名か実名か、
あちらかこちらの世界とやらに
関係なく可能であると述べた。
したがって、ネット上における
コミュニティの可能性に関しては楽観的なのだが、
ニコニコ動画を巡る問題は
一筋縄ではいかないように思う。


ホームレスや外国人が公園を占拠してしまう、
と言った事例がある。
これは公共圏や公共財を巡る問題でよくあがるのだが、
資本(ここでいう資本とは金銭的なものとは限らない)
を持たない人たちにとって、
公園とは唯一の財なのであって、
彼らにとっては富の源泉なのである。


誤解無き様に言っておくが、
我輩は何も浮浪者や乞食を引いて
批判しようとする者ではない。
実のところ、公共性は貧困(不足)と
結びついて場合が多いのである。
たとえば、かつては居間と寝室だけの
住まいであったが故に、
銭湯やら飲み屋やら食堂やら繁盛したのであるが、
個人の住居空間の(機能的、規模的)拡充によって、
そうした共同の空間は廃れた。
個々の簡潔性が薄い故に共同が発達し、
関係性が強化されていた訳である。


ネット上の共同体あるいは共同性、関係性の問題は、
それが代替可能性が高いという点にある。
あるいは完結性が薄いと言ってもよいだろうか。
多層的、並行的な空間であるが故に、
アイデンティファイあるいは
固定化して捉えることが難しい。
利用するしないはあくまでも個人の問題なのであって、
それは集団の問題とはならない。
ニコニコ動画という媒体それ自体は
ネット全体から見て個でしかないのである。
言い換えれば、社会全体から見た時、
ニコニコ動画という運営組織や利用者というのは、
あくまでも特定の集団の一つの過ぎないのであって、
一般的な集団の権利やあり方を以って
それを擁護することは出来ない。


さらに、ネットそれ自体は
もちろんパブリック・スペースであるのだが、
それを利用して提供される種種のサービスが、
(有料無料の関係無く)
同様に公共性を有しているかは疑わしい。
憲法学において「部分社会の法理」というのがあるが、
かなり特殊な場合においてのみ適用される概念であって、
やはり個々の集団は社会全体から
一定の掣肘を受けざるを得ない。


中途半端だがこの辺で切り上げるとして、
(所詮は思い付きの覚書)
おそらくニコニコ動画に必要なのは、
抽象的な権利や公共性の神学論争ではなく、
ビジネスモデルの明瞭な提示に
つきるのではないかと思う。
サーバー増設やメンテナンスのコストを考えると、
現状、単体ですら儲かっているかあやしいところだが、
利益を生み出さねばどんなに流行していても先は無い。