上野辺りを逍遥


上野界隈をぶらぶら歩く。
アッチ方面に興味のある人なら知っているかもしれないが、
上野にはゲイ・コミュニティーがあって、
何でも闇市の頃からあるらしい。
まあ、今日死語と化したパンパンの陰間版。
進駐軍相手の男娼が世上の安定にともなって、
山から下りてきて定着したそうな。


上野を逆に呼ぶのが通称なのだが、
赤坂や新宿二丁目なんかと比べると
本当にささやかな狭いところに集まっていて、
看板には基本的に屋号しか載っていない。
かつて二枚看板を嫌ったのは、
昔気質の頑固者たちだったが、
今日ではこういう形でしか残っていないようだ。


新宿二丁目のような大きいコミュニティであれば、
色んなジャンルのそれが集まっているのだが、
各地のゲイ・コミュニティはジャンル別に分かれているそうな。
美少年系は赤坂みたいな感じで。
上野は地方との交通の要衝だけに、
赤坂みたいに洗練されていない土っぽいのが特徴だそうな。
遠い世界同士の距離感と言うのは掴みにくいもので、
ついついひとくくりにして放っておいてしまうものだが、
平面図では絡み合うジェットコースターの軌跡が、
立体図では交錯することが無い様に、
似て非なるものというものは存外多いようだ。


それにしても上野という街は
混沌としたディズニー・ランドのようだ。
江戸の頃からしてそうなのである。
東叡山の名に上方の寺社仏閣を模した寺。
水観音堂なんてそのまんまで、
そこから見下ろしたところにある
不忍池(元は沼)を琵琶湖に見立てている。
よくよく考えてみれば明治の薩長閥だけでなく、
江戸からすれば徳川すら元は外様に過ぎない。
我が国において象徴は媒体に過ぎないようだ。


昔っからそういう寄せ集め的な、
日本人の大好きな博覧会的な風土で、
現代に近づいても、まあ、寄せ集めである。
公園口に入ったらすぐに
厳めしい地獄の門なんぞ飾ってあって、
隣でのほほんとキャラメルポップコーンが売られているなんぞ、
世界中を探してもここしかないのではないか。


明治時代には西洋を模して公園を作り、
美術館を建て、西郷さんみたいな銅像も造った。
西郷さんの裏に彰義隊の慰霊碑なんぞがあるのは、
なんかちと洒落にならん。
その裏には皇紀二千六百年の馬鹿騒ぎの時に建立された、
和邇王仁)博士を讃える碑文なんぞがある。


思えば我が国の神話では
神様が顔を洗った時の飛沫からすら
神様が生まれて無限増殖していく。
多神論と唯一神の間の溝は果てしなく深いが、
存外、多神論同士の隔てる壁も高いのやも知れぬ。
同様に上野の町も無限に吸い込んでいく、
底なし沼みたいなものなのかもしれない。