日本の天地は複雑怪奇


現状において政権を獲得維持する事が
可能であるにも関わらず、
福田首相が大連立を打診されたのことであるが、
政権構想をある程度摺り合わせる事もせずして、
このようなことをお考えになるのは理解に苦しむ。
仮に連立工作が成功したとして、
これではまるで戦前の翼賛会ではないか。
たった一つの政策を達成して目標が失われるとしたら、
そこには単なる政権維持しか残らないであろう。
大所帯であれば人事をめぐって隈板内閣の二の舞になりかねない。
頑なに反対する民主党の小沢代表にしても、
歩み寄る福田首相にしても、
分かり易いようで理解し難い。


小沢氏の余りに露骨な反米的政治姿勢越しに
ロッキードに足下をすくわれた
田中角栄が重なって見える。
折しも防衛関連の疑惑で
自由党に所属していた元議員が
その最中にあって与野党に飛び火しかねない情勢である。
手に札が残っていながらそれを切ろうとしない福田首相も、
米国の理解を得られないという点では小沢氏とかわらない。


亜細亜主義の再評価を唱える
社会学者先生にも言えることだが、
独立にするにはそれを可能にする力があって、
初めて可能なのであって、
独立するために何処か連帯したり、
独立するのは本末転倒であるか、
あるいは単なる書生議論の甘ったれ根性に過ぎない。
米国が邪魔してこない保証など何処にも無いではないか。
ビル二つと五角形の片隅が倒壊しただけで、
二つの国を攻め滅ぼしたという事実を
忘れないで欲しいものである。
彼の国の国際関係や戦略の本などでは、
日本のことを良くて「半主権国」、
悪くて「属国」「朝貢国」などと書かれている、
そういう真の意味での冷厳な事実に
今少し自覚して頂きたい。


前首相はその力弱さから
近衛文麿にたとえられることがあったが、
我輩には英米本位の国際関係を批判した近衛が
現在の小沢氏に被って見える。
この二代に続く政局の混乱に関して、
右派も左派も反省しなければならないのではないかと思う。
あのBBCにすら就任当初に「民族主義者」と
強調されて報道された前首相は、
実際には中韓との関係修繕に尽力したのであり、
少なくとも外交においては
国際協調路線を歩んでいたことは自明であろう。


この点において、
反共の闘士と目されていたニクソン
ケネディ、ジョンソンという
リベラル鷹派政権の後始末をしたという
皮肉というか歴史的事実を思い起こさせられる。
人格面において少々問題のある人物ではあったが、
(ドラマ『24』のローガン大統領のモデルではないかと思う)
実際政治においては彼はまったくの鳩派であった。
未だに「アベする」などと言っている
一部の曲学阿世の輩は現実を直視し、
自らの低劣な品性を恥じるべきだ。


マルクスの残留思念に囚われた残党には困ったものだが、
具体的な政策を論じる前に福田首相
端から否定してかかる一部の右派にも困ったものだ。
右派にしても左派にしても、
その最良の者たちでさえ、
往々にして理論家と呼ばれる人たちは、
理論をあまりにリジットに捉え過ぎる。
あるいは「現実主義」を自称する者も多いが、
そのような現実は単なる解釈に過ぎないのであって、
現実認識は事実自体にはついにはなれない。
現実が常に相対的でありかつ特殊である以上は、
それは絶対的、普遍的に存し得ないからだ。
要するにこれが現実だとは言えないのだが、
もちろんその妥当性は比定可能なのであって、
それに対する努力を放棄することは単なる怠慢である。


現状の不可解さは飛び交う言論の内容が、
単純であるにも関わらず、
悉く不徹底なことばかりであって、
要点に達しているものは
何等認めることが出来ない点にある。
明解なのはただラベルだけであって、
そのラベルが貼られたるところの箱には
一体何が入っているのか、
皆目検討がつかない有様である。
まったく日本の底が抜けた天地は
実に複雑怪奇である。