ぜつぼうごっこ


量は質ではない。
質は量ではない。
実に当たり前なことであるが、
言葉に限って言えば、
それは容易に混同されるようである。
多くの言葉を知っていても、
適切でなければ何の意味もないというのに。


絶望やら非難やら罵倒やらが、
物を変え場所を変え、
あらゆるところで噴出しておるのだが、
彼らが真の意味で絶望したことがあるのだろうか。
強烈な批評精神を有していた荷風は言う。
「日本の作家中で誰がモオパッサンの真似をして
 モオパッサンのように人生に絶望したか。
 イブセンほど文明の社会を見たやつがあるか。
 ゴルキイが露西亜を見たほど
 日本を見たやつがあるか」


絶望先生のそれに似て、何となく
それで救われた様な気持ちになれるのだろう。
結局、呪い語に過ぎないそれは、
その程度のものに過ぎない。
気分に過ぎぬそれは容易に移ろう。
外見は変わっても同じところを
ぐるぐる回っているだけのことだ。
前進を訴えつつ彼自身は頑なに動こうとしない。
その癖、自分の立ち位置も定まらんというのであれば、
そんなものに精神などは宿ってはいないだろう。