凡庸なあまりに凡庸な


満を持してと言うよりは今更な気がしないでもないが、
宮台真司氏が赤木論文に対するコメントを出されておられる。
赤木智弘著『若者を見殺しにする国』(双風舎)へのコメント」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=579
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2007/11/by_4f45.html
今更と嫌味を言うのは内容が余りに凡庸だからだ。

匂いを伝える小説、ならば従来ありましたが、論説は珍しい。実は赤木氏の論説が「匂いを伝える」こと自体が「問題」を象徴しています。そう、彼が主題とする若年非正規雇用問題について、匂いに鈍感な論説が多すぎるという「問題」。匂いに鈍感なままどんなに正論を連ねても、人々は動機づけられず、物事の手当ては見当外れになる。


この宮台氏の赤木論文の読み自体は
「希望は戦争」のフレーズに飛び付いた論者達よりも
遥かにまともであるとは思うが、
氏自身の問題に関してあまりに鈍感だ。
それは今日における「知識人問題」である。


赤木氏は識者の反論に対する反論に
「けっきょく、『自己責任』 ですか」と題した上で、

「社会と戦え!」「もっと考えろ!」と言われるが、私は社会から逃げているつもりはないし、考えを放棄するつもりもない。私は社会と戦いたいし、もっと考えたい。しかし、いまのままでは、問題を考えようにも単純労働や社会の無理解に疲れ果て、酒やテレビなどの一時的な娯楽に身をゆだねるしかない。考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて「考える」という行為をすることができる。そうした人間が、考えて活動するための「土台」を整備することこそ、私に反論する方々の「責任」ではないだろうか。

と締めくくっている。
彼の言う「責任」を肯うにせよ否むにせよ、
この問題に目を向けないような、
或はそれでいてこの問題を論じるような人は、
知識人として己が在り方を問われている
ということに気が付いていない。


かつて松本健一氏は
「知的生活とは絶えず本を買いつづける生活」*1
であるといった渡部昇一氏を批判して、

本を買いつづけたところで、その本によって己れを新しくし、そうして本(文化)を新しくして変えてゆくのでなければ、知識などというものは書斎の飾り物にすぎない。そして、それを切り売りしてゆくひとを知識産業人というのである。もちろん、これは自戒の言葉にほかならない

と述べておられた。


「談合主義」やら「天皇主義」やら、
「アイロニカルな没入」云々と、
今に始まったことではなく氏に限った事でもないが、
この種の言葉遊びにはうんざりさせられる。
勿論、難しく書く事自体は責められるべきものではない。
しかし、不必要なまでに新語を作り出し、
酷い時にはただそれを論ず為だけの用語法を編み出す、
これはあまりに不毛なのではないかと思う。
日本の思想や哲学に問題があったとすれば、
オリジナリティの欠如(輸入学問)と言うよりは、
自分達の言葉(日本語)で語ってこなかった
という事に尽きるのではないか。


宮台氏は昨今丸山真男的なるものを提唱し
再評価されておられるが、
氏は丸山と言うよりむしろ清水幾太郎的なのではないか。
先に引用した松本健一氏は、
清水幾太郎の追悼文にこう寄せておられる。

清水幾太郎というひとは、思想をその構造よりも機能において重視する傾きがあり、それがかれのジャーナリスティックな感覚の鋭さとともに、時代に即応した転身を生んでいた。かれはつねに時代のトップランナーでありつづけようとしたのである*2

何だか最近教授になったばかりの
社会学者さんに重なって見えるようである。


昨今亡くなった共産党宮本顕治は、
あの小林秀雄をおさえて賞を取った評論で、
芥川の自殺をもって文学の死を宣言した。
松本健一氏は清水の死にマルクスヴェーバーのような
大知識人を追い求める知識人の在り方の終焉を見た。
思想家(知識人)が時代のトップランナーでは
なくなってしまった現代において、
自己の存在証明を強いられているのは
むしろ知識人の側なのである。

*1:渡部昇一『知的生活の方法』

*2:毎日新聞』1988年8月15日