赤木論文に関する覚書


チャトランガ夫人の恋人』というブログの
「まったりするにも金がいる」*1と題したエントリで
赤木論文に応答すべきだったのは、佐高信福島みずほではなく、宮台真司だったのではないか。しかし、弱者男性の情緒を煽ることで自分のスタイルを確立してきた宮台に、いまさらどんな応答が可能だろうか?
と述べられているが我輩も似たような感慨を持っていた。
と言うのも、本館の方で宮台氏の赤木本と同じ版元の双風舎
バックラッシュ!』に寄せた論文を批判していて、
そこで彼が述べていたような「バックラッシュ」的なもの、
あるいは「蓑田胸善」的なものに、
赤木智弘氏が重なって見えたからである。
ここでいう見え方というのは、
我輩の視線ではなく宮台氏の視線であって、
我輩は彼の見方に少なからず反撥している。


赤木論文が評判になってから随分と経つが、
その間宮台氏がこれといった反応を見せていないことに、
我輩はすこぶる解せない感であったのだが、
ついに赤木氏と直接対峙するそうである。


 <紀伊國屋書店新宿南店トークイベント>
 『若者を見殺しにする国』(双風舎
  刊行記念トークセッション
 赤木智弘×宮台真司×藤井誠二
 いまのニッポン、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか
 ―若者から見た右翼と左翼―*2


まあ、鼎談というのは喧嘩にならない相手を選ぶので、
あまり突っ込んだ議論は期待できないが、
これで宮台氏も厄介な宿題を抱えるという訳だ。
論壇の寵児というのはころころ代わるものだから、
宮台氏も量産と手抜きを繰り返すと、
ひょんなところで足下をすくわれかねない。
花田清輝吉本隆明に負けた後に、
まるで塵が風に飛ばされるが如く
記憶から消えていった様に。


以下、某所で記したコメントの転載。
少々茶化しと冷やかしが過ぎたかもしれない。
加えて推敲無しで直接書いたので、
文章が少々見苦しい。
以下を読まれる方は諒とされよ。
本館の方で両論文を精読した上で
何かしらの茶化しではない批評を
上げたいとは思っているのだが、
所詮は小人の消閑の徒事。
ついつい積読本の消化に気が移る。
基本的にコメントはやらない主義なのだが、
書きたいと思っていただけに
ついつい魔が差してコメントしてしまった。


 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うと茶化しが過ぎるかもしれませんが、コップ中の嵐もほどほどにしておかないとコップ自体が割れてしまいますぜ。日付を見れば分かるように池田氏より鮭缶氏の方が先に井上先生の『日中戦争下の日本』を取り上げておられるし、井上先生はリベラル系のポジティヴィスト(実証主義の歴史家)ですがな。批判するならちゃんと読みなはれ。なかなか面白い本でしたよ。あと、明治初期から一気に敗戦に飛ぶ歴史観は如何なものか。重税の地租とは言うものの1873年に地租は固定化されていて、1877年の西南戦争で不換紙幣を大量発行したこともあって、当時はインフレで事実上の減税効果があったので必ずしも重税とは言えない。(もちろん松方財政のようにデフレになると自然増税になる)秩父事件などのいわゆる「激化諸事件」もコミューン的な要素があって確かに民衆蜂起の側面があるが、自由党左派のテロリズムと不平士族と壮士(ヤクザ)の方が主因でしょう。何と言うか、最近だと宮台真司氏のようなプロの評論家でもそうなのだが、80年代あたりまでの歴史家の単線的な歴史観で歴史を語るのはやめた方がいい。実証的な検証に到底たえられるとは思えない。
 あと、清和会と創価学会が憎いのか知らないが、労働派遣法が改正されたのは1999年の小渕政権のことであって、清和会4代の政権の責任にするのは如何なものだろう。(ちなみにこの頃のマスコミはフリーターを肯定的に報道していた)彼らの政権時代にも確かに改正があったのだが、端緒が開かれたのは彼ら以前である以上、もう少し長期的な視野から見ないといけないのではなかろうか。
 何と言うか元の赤木論文に載ってないことを議論するのはあまりに不毛であるし、大体、そんなに嫌いなら関わらなきゃいいと思うんですがなあ。せっかく件の論文二本もネット上に公開しているのだから、もう一回こっちのブログに公開してみたら如何でしょう。そうすれば良かれ悪しかれ問題点というのが見えてくるのではないでしょうか。本論を離れて周りで言い争っていても仕方ないですし、批判するにしても頚動脈というか論の急所をつかないと効果的ではありませんから。


 俗に「民衆闘争史観」と呼ばれる歴史家達が一揆などを研究していくつかの実証的な成果を上げているのは存じていますが、82〜84年までの激化諸事件はどこまで評価しうるかはむつかしいと思います。秩父事件では困民党が徳政令と積極財政を掲げていたのですが、当時の財政状況でそういうことは困難だったのではないかでしょうか。かつては低評価だった松方財政も近代財政の確立という意味で1984年の室山義正さんの『近代日本の軍事と財政』以来評価がほぼ固まっていますし。
 少なくとも維新以来、一直線に戦争(軍事)国家化したというお考えは間違いでしょう。松方財政というのは緊縮財政で民生(社会インフラ整備など)部門だけでなく、当時最も金のかかった軍事部門の縮小もしており朝鮮半島進出に対しても慎重であって、協調外交(特に対清国)をやっていたわけですから。そもそも当の自由民権勢力や政党勢力というのが基本的に主戦論でかつ積極財政(+地租増徴反対)を訴えていた訳で、赤木氏のような考え方と内乱と外乱の違いしかないのではないでしょうか。
 労働派遣に関しては確かに問題であろうとは思いますが、我輩には現実的にどういう施策が採りうるか正直なところ分かりません。ただ、鳩派で平等志向が強いという意味でのリベラル的な公明党自民党でも特に鷹派が集まっている清和会が一体化しているかのように見るのは、少々妥当性に欠いているのではないでしょうか。
 赤木氏の二つの論文は誤りも多く、ナチスの「ハブ・ノット」の思想と何ら変わりがないので支持はしませんが、こういう論文が「論座」から出て、ネット上で話題になると言うのは興味深い現象だとは思います。アナーキズム研究で知られた松田道雄先生はかつて社会主義者マルクスよりも無政府主義者バクーニンの方が労働者(民衆)に親近感を持たれたことをこう述べておられます。「権力を辞しない社会主義の指導者は、もっぱらインテリゲンチアであって、大衆操作をたくみにする中央集権的機構を案出する」、そうした「インテリゲンチアの大衆操作である政治に労働者たちは気質的に反撥した」。赤木氏を支持する人々にもそれと通じるものがあるのかもしれません。同様に井上先生の『日中戦争下の日本』にもあるように民衆は戦争を支持し、協力しましたし、二・二六事件に対して決起将兵に同情したのです。我輩が言いたいことは戦争に対して合理的に反対するのも「現実」ならば、こうしたこともやはりまた一つの「現実」と言えるのではないか、あるいはそう見ざるえないのではないかということです。コメントを眺めているとこんな奴の本を出すのは間違っているという風なことをおっしゃる方がいらっしゃるのですが、少なくとも出版することで誰かに害を為す訳はありませんから、その辺には問題は無いと思います。そういう自由(J・S・ミルの言う所の「危害原理」)は認めざるを得ないでしょう。