「ユダヤ」と「人種」


「イスラエルで『建国根拠なし』本、ベストセラーに」


なにやらブクマで話題になっているようなのだが、今更何を騒いでいるのだろうというような話である。この程度のことならベストセラーになった田川建三先生の『書物としての新約聖書』に書いてあることだ。


この種の問題は、「ユダヤ人」の改宗ハザール人説起源云々以前に、「ディアスポラ」に対する誤解からきているのではないかと思われる。「ディアスポラ」は「離散した」だけでなく、「離散している」、つまり、イスラエルを離れて海外居住しているユダヤ人を指す場合もあり、ローマ帝国によってエルサレムから追放される以前に、多くのユダヤ人が交易商人として帝国各地に「離散していた」。


当時の商人コミュニティの二大勢力となっていたのが、海洋民族ギリシア人と信仰を媒介としたユダヤ人のコミュニティである。前者がいわゆるヘレネスバルバロイという差別的な人種観によって閉鎖されたコミュニティであったのに対し、ユダヤ人とは信仰の問題であって、少なからぬ非ギリシアローマ帝国居住民族がコミュニティへの参加のために改宗しており、その数は出生による自然増加数より多かった時期すらあるようだ。


実はキリスト以後も、しばらくの間、改宗人口が多かったのはユダヤ教なのである(と言うより、初期キリスト教ディアスポラユダヤ教コミュニティを媒介として勢力を拡大させていったと見た方が自然であろう)。旺盛に拡大し、しかも交易という点で利害が重なるギリシア系コミュニティとユダヤ系コミュニティは帝国内で対立し、殊に有名なのがアレクサンドリアでのギリシア系住民によるユダヤ系住民の虐殺である。キリスト教においてトルコからローマに至る北伝が中心になっているのも、この事件の影響があるのではないかと我輩は考えている。


人種や民族という概念は曖昧な部分も多くて、血と土地をベースにはしているものの、厳格に区別されているわけではない。件の記事にあるパレスチナ人が古代ユダヤ人の子孫というのは、要するにエルサレム郊外の土着のユダヤ人(特に農民)が、時代を経て、イスラム化し、アラブ化していったという程度の意味に過ぎない(したがって、パレスチナ人に対してあいつらだって外から来たという批判は妥当ではない)。昨今、ギリシアが隣のマケドニアに対して、マケドニアギリシアの一地方の名前であるから、国名を変更せよ、といちゃもんをつけているが、混血を重ねスラブ化したギリシア人と古代ギリシア人は、イコールで結び付けられるようなものでは到底ない。同様に血をベースにした民族観では、古代ユダヤ人と現代ユダヤ人、パレスチナ人は結び付けて考えることができない。大体、あれほど民族を称揚したドイツ人とて、彼らが戴いた偉大なオーストリア生れのチョビヒゲ総統殿は、金髪でも碧眼でも、長身でもなかったではないか。


植民地解放後の我々は、良くも悪くも「民族自決」という概念に批判的に向かい合わない。チベット独立?よろしい、では、ズデーテンや東プロイセンにドイツ人は帰還すべきであろうか?東シベリアに散って行った自称ルーシの子孫たちは、土地をアジア人に返すべきであろうか?難問ばかりである。ある種の純粋性への志向がかえって混乱を招き、同質性を求めることがかえって人々をバラバラにするように思えてならない。イスラエル建国は道理に反するものであったとしても、もはやそれは時効のように思われる。問題はむしろ現在イスラエルが布いている圧制の方にあろう。かつてゲットーの厚い壁に阻まれた人々が、今や壁を囲む側に立っている。これは歴史の皮肉などというよりも、むしろ現実の困難さそのものであろう。道徳には根拠が必要である。しかしながら、神は論外とされ、世俗的発想は拒絶される。それではこういう非常時において、我々はどこにその根拠を求めるべきであろうか。