修正主義について


修正主義という言葉は、
ファシズムと同じく
最早罵倒語としてしか用いられないが、
原義に即せば必ずしも悪い言葉ではない。
要するに「re-vision」見直すのである。
この言葉はいわゆる右派に対して、
あるいはより端的に言えば、
つくる会」の教科書に対して
向けられる事が多い。


我輩に言わせれば戦後自体、
あるいは戦後民主主義だって
十分に「修正主義」的である。
「八月革命説」などという苦しい言い訳は、
その典型にして最大のものであろう。
日本の近代史は兎角に
左翼的あるいは野党的な思想家ばかりを
取り上げる傾向がある。
たとえば、中江兆民幸徳秋水
を知る者は多いだろうが、
頭山満中野正剛を知る者はどれだけ居ようか。


要するに「修正主義」とは、
事後的に再構成された思想史の事である。
明治時代に国権論が優位であったにも関わらず、
我々は民権論ばかりを学ぶ。
左翼にせよ、右翼にせよ、
何かしらの理論によって過去を遡行し、
事後的に再構築する試みは、
すべて「歴史的代替物」を生み出すに過ぎない。
戦後の思想史が戦前の空虚なノーに過ぎないのなら、
それを否定する事は幻想に幻想を
上塗りするだけの徒労に終わろう。
一切のアンティは過去へ後退する運動に他ならない。
克服されたものは我らの外にあるのではない、
我らの内に飲み込まれたものなのである。