ワイマール、ワイマール


件の薬害肝炎が議員立法
手打ちになるとかいう
「政治決断」とやらが出たそうで、
とっさに、ああ「天長節」だからか、
などと思った我輩は脳みそがどんだけ古いのか。
オタクの言説界隈で決断主義がどうのこうの
云うのがあらわれて実に不愉快であったが、
最近はこの種の利己心に過ぎぬものを、
倫理として振り回す輩が多過ぎる。
倫理として用いれば偽善であろうし、
微温的な優しさをもって
それを受け止めれば感傷に堕する。


まあ、それにしても、
現代日本は民主的過ぎて自滅した
ヴァイマル共和国によく似ている。
主張がバラバラ故に
単独で多数をとれる政党が存在せず、
結果として何も決まらない。
そして簡単な事で政治家の首が飛び、
何も決まらないが故にかえって、
誰も意見を譲ろうとしない。


そのため共和国の末期において、
大統領ヒンデンブルクは非常時大権を濫用し、
実に四代にわたって超然内閣が
次々に成立しては潰れていった。
皮肉な事にその後を継いだ
ヒットラーは議会に勢力の基礎を置いた、
“デモクラシー”の政治家だったのである。
彼は民意の元に「政治決断」を下し、
死に損ないの共和国に引導を渡した。
おそらくは『スター・ウォーズ』の
モデルの一つであろう。
何時の世も独裁者は歓呼を以って迎えられる。


自由が自由を殺さぬように、
我々は政治的理性を確立させようと努める。
“空気”は日本において
倫理のようなものとして機能してきた。
だが、倫理的なるものは
もとより論理的なものでも、
現実的なものでもない。
空気はあくまで外にあって内に働きかけるものだ。
この世知辛いグローバリゼーションの時代にあって、
何時まで内輪の“空気”と戯れていられるのだろうか。