ふとした疑問


長文エントリをのんびり書きつつ(――どうでもいいことだけど、世の「アルファ・ブロガー」と称される人々は、どうしてあんなに速く、しかも大量のエントリを量産できるんだろう)、関係ないエントリやら本やらを気分転換に読んでいるのだが、小谷野敦氏のエントリに引っかかるものを覚えたので覚書風に残して置く。

古代ギリシャ・ローマ文化は中世には忘れられていて、ルネサンス期にイスラームから逆輸入されたとある。村上陽一郎がそう書いているらしく、私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い。クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』を来週までに読んでくること。アリストテレスが中世神学の柱だったことも常識である。ただ私も、プラトンは知られていなかった、と思ったが、これもネオ・プラトニストによって伝えられているから、中世は古典文化を忘れていたというのは、ギリシャ劇とか、プラトンの原典およびソクラテスに限定された話でしかない。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080501


このルネサンスなのだけど、「イタリア・ルネサンス」ではなくて、スペインのトレドを中心とした所謂「12世紀ルネサンス」の事なら、見当違いという程の事ではないのではないか。普通、西洋史において、古代というのは西ローマ帝国滅亡の5世紀末の事を指すから、古代ギリシア文化との断絶というのは、この5世紀以降から12世紀頃のそれを差すのではなかろうか。キリスト教神学においても5世紀におけるラテン教父の巨人アウグスティヌス以降、専らラテン語優勢になっているし、西欧諸語への影響(――言語学者泉井久之助の『ヨーロッパの言語』〔岩波新書〕あたりにその辺の事情も含めて色々書いてあったような、なかったような)や、8世紀のカロリング・ルネサンスもやはりラテン語が中心になっていた訳だし。


中世神学、より端的に言えばトマス・アクィナスが大成したスコラ学の元ネタは確かにアリストテレスなのだけど、それはトレドのアラビア語文献のラテン翻訳(――イブン・ルシュドなど)を通じた、言うなれば“接木”の如きものに過ぎないんじゃないのかな。大体、古代ギリシアの当時から、アリストテレスプラトン以上に忘れ去られていて、文献の散逸も多く、著作の大半は講義録に近いものに近かったはず。忘れられていたからこそ、アリストテレスの代表作は『ニコマコス倫理学』なんて変な名称になっている訳で(★要修正:詳しくはコメント欄を参照されたし)。大体、ルネサンスなんて言っても、マキアヴェッリみたいにギリシア語を解さなかった人なんてのも居たくらいだし。連続か、断絶かという問題は存外難しい。そもそも「中世」とか、「ルネサンス」がどういう性質のものなのか、定義が曖昧な面もある。


気になるのは、クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』という本。初耳である。どんな本なのだろう。グーグルでヒットするたった85件の検索結果を眺める限り、これもラテン語中心の記述なのかな。んー、気になる。