「反知性主義について」(改題)


何か最近、他人の揚げ足を取るようなことばかり書いているような気がしなくもないが、コメント欄がなくて、ブックマークのコメンターたちの指摘もないようなので、修正を促したいので書くのだが、『海難記』というブログの「ニッポンの反知性主義」において、『アメリカの反知性主義』の著者がマルクス主義史家の泰斗E・ホブズボームになっている。正しくはリチャード・ホーフスタッター(――ホーフシュタッターとか色々表記の違いはあるが)である。


それで中身の方もなのだが、アメリカの「反知性主義」という言葉は、かなり特殊なアメリカ史の文脈から捉えないといけないので、他に適用することは難しいのではないかと思う。今年惜しくも亡くなられた斎藤眞先生の『アメリカとは何か』(平凡社ライブラリー)に収録されている「二人の知識人――アメリ反知性主義の文脈」(――19世紀のヘンリー・アダムズと20世紀のC・ライト・ミルズを対比させて論じた面白い小論)が短くまとまっているので、読むことをオススメしたいが、ネット上でも『研究生活の覚書』というブログのエントリを読まれれば、大筋の背景は把握できるのではないかと思う。特に今回の主張に関しては、同ブログの「科学とスピリチュアリズム」、「デモクラシーを愛す」、「UtilityとPracticalの間(1)」、「同(2)」などが大変参考になる。


先の「デモクラシーを愛す」にもあるように、アメリカの「反知性主義」というのは、第一義的にはヨーロッパ風の考え方に対する反発なのである。ド・トックヴィルの時代からアメリカ人は哲学に興味を持たないと指摘されているが、T・ジェファソンのような第一級の知識人(――彼の蔵書は議会図書館に基礎になっている。驚異的なことに確か3万冊ほど蓄えていたはず)ですら、ヨーロッパとアメリカを対比し、前者を専制に支配された、後者がそれから解放された自由の支配する国であると考えていた。ジェファソンの農本主義的なデモクラシーというのは、そうした「特権の否定」の裏面としての積極面なのであり、同様にそうした倫理は学歴主義を排除する。これが反知性主義の側面として指摘される。19世紀前半のアメリカの大学は中世じみたところがあって、一種のジェントルマンや牧師の養成のためにあり、知識の追求という今日我々が想像する大学のイメージとはほど遠いものであった。こうしたことから、近代化されたドイツの大学に留学するアメリカ人が、19世紀において少なくなかった。そのため、19世紀のアメリカの大学改革というのは、ドイツを模範(――大学行政ばかりでなく、たとえば「ゼミナール」形式など)としていることが多い。


当時否定されたのはただ知のみを追求が目的化した知識人だけではない。平時における常備軍の存在も忌避されたのである。19世紀アメリカの対外膨張には眼を見張るものがあるとはいえ、今日のような強固な軍隊を有するに至ったのはローズヴェルト大統領まで待たねばならない。このような社会で必要とされたのは、「精神的・肉体的頑強さと、直接日常生活に役立つ人びと、つまり『ドック』と呼ばれる医者であり、自ら取材し印刷し有用な情報を提供してくれる(フランクリンがそうであったように)ジャーナリストであり、子供の教育の面倒を見てくれる小学校の(多くは女性の)先生であり、孤独な魂を慰めてくれる(しばしば巡回の)牧師」(引用:『アメリカとは何か』)であった。そもそもフロンティアの時代の人口増加率は眼を見張るものがあったとはいえ、それでも人口密度は大変薄かったのである。


こうした伝統がやがてフロンティアの消滅と都市化とによって、変質していくのであるが、1950年代の狂乱的なマッカーシズムの時代にあっても、「反知性主義」というのは、必ずしも反知識を意味したのではないし、オカルト的な宗教的狂信に繋がるわけではない。独立自営の倫理というのは、エリートにせよ、コモンマンにせよ、自らの存在証明を迫る。知的エリートである知識人もまた自らの存在証明を、知識の有用性を問われざるをえない。50年代以前のすでにニュー・ディールの時代から、彼の国では政策科学志向が強いのはそのためである。『ベスト・アンド・ブライテスト』(D・ハルバースタム)の“栄光”と“挫折”というものも、また、良くも悪くもそうした背景から生れた。


少々中途半端だが、誤字指摘程度からはじまった話なので、強引だがこの辺できりたい。手元にある本が少ないので、下手に色々書くと不確かな伝聞を生みかねないので。


●追記
「ツッコミ」だと戯れが過ぎるので、少々まじめなタイトルにかえ、一部加筆修正を加えた。どうやら我輩が指摘する以前に気が付かれたようで、我ながら余計なことをしてしまった。ただ、内容に関して肯うことが出来ない点があるというのも確かである。ホーフスタッターの考え方自体、丸山真男の「亜インテリ論」を想起させて、率直に言って感情的な反発をまず持つのだが、そもそも知識人自体に責任がまったくないわけではあるまい。


たとえば、古くは丸山真男清水幾太郎、昨今では宮台真司氏のように、ある種、運動家的に振舞う知識人たち居るからである。彼らのことを評価しないわけではないが、少々やりすぎだと思う面も多々ある。或は、「反知性主義」の裏返しとも言える「教養主義」(特に大正の)に対して、西尾幹二氏が痛烈に批判したりしていたが(――我輩は八つ当たりの面が強いと思っている。西尾氏の左翼批判の底流に、根っからの文学畑の福田恒存とは違って、ある種の挫折したアカデミストという側面を見る)、一面において的確な部分もあるのではないだろうか。


功利(機能)に対して原理が留保として在ったり、反省を促す再帰的なものであることは、今日強調されてしかるべきであると思うが、しかし、そうしたものは自省的、反省的なものなのであって、それは積極的な意味を持ちうるだろうか。我輩は功利主義万能を支持するものではないが、消極的な性格のものを持ち上げるのも、また、率直に言って気乗りしないのである。