『銃とチョコレート』(乙一)


ひらがなが多くて読み難いという
意見を聞いていたが、実際、読み難い。
日本語は同音異義語が非常に多い。
これは漢語由来の熟語に指摘される事が多いが、
漢語とは関係無い語彙においても散見される。
これはおそらく日本語の音に
母音が多いためではないかと考えているが、
さしたる根拠は無い。


児童向けにひらがなを多くして書いたそうであるが、
かえって読み難いものになってしまった。
音と字の関係は存外ややこしい。
昨今はネット上に無料の辞書類が充実しているし、
電子辞書も昔とは比べようが無いくらい、
容量や機能が充実し、しかも安くなった。
乙一先生はある時期から徐々に漢字を減らしているようだが、
そういう安直な安易さは止めておいた方が良いだろう。


『銃とチョコレート』に出てくる「移民」は、
どうやらユダヤ人がモデルと思われる。
厳密に言えば、イメージのモデルだ。
舞台自体、19世紀から20世紀にかけての
ヨーロッパがモデルと思われるが、
いくつかのモデルを合わせているようで、
モデル特定に意味は無いだろう。
時にイギリス的であり、ポーランドのようであり、
またドイツを彷彿とさせる場面もある。
時代背景も対戦前の古き良きヨーロッパのようであり、
大戦後の退廃的雰囲気も醸し出している。


つまり、ディテール
――映画風に言えばマクガフィンだが
にはまったく意味が無い。
著者は良くも悪くもディテールには拘らない。
発想が突飛な時もあるが、
それに拘泥せずドラマで読者を魅せる。
シンプルでありながら、
ストーリが深く刻み込まれる。


まったく不思議なものだ。
未だに乙一の何処が面白いのか理解出来ない。
自分が何を面白いと感じているのか、
それすら良く分からない。
良く分からないが好きな作家、
それが私にとっての乙一だ。