雅号とHN


かなり古いネタであるが、極東ブログ
「[書評]ウェブ人間論梅田望夫平野啓一郎)」に対して、
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/12/post_a97b.html
著者の梅田さんがこういう形で返礼されておられた。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20061212/p1
ウェブ進化論でも引用されていたりしたので、
中々興味深い事である。
んで、オチはこれ。
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20061213#p3


少々瑣末でティーゼイションな話題になるが、
梅田氏はid:finalventのことを
心の中でいつも「finalvent先生」と呼んでいるそうである。
彼は「終風」(final ventの意)という雅号を持っているので、
終風先生とでも呼んだほうがしっくりくるような気がする。
我輩はそれほど氏をリスペクトしている訳ではないが、
「終風外史」と脳内で勝手に呼んでいる。
ちなみに意味は官につかえず野にあって文筆に従事する人。
まあ、普通、雅号に添える言葉は名乗っている当人が選ぶのだが。


最近よく悩むのは
IDやHNで相手をどう呼ぶべきかだ。
漢字ならまだ「さん」とか「君」とかでもしっくり来るのだが、
どうにもカタカナとかローマ字とかだと
下らないと思われるかもしれないがしっくりこない。
仕方が無いのでコメントなどが付いた時は、
内容に対するレスポンスだけにとどめている。
広大なネットに曝しながら何やらヒキコモリのようである。


本館のプロフィールの雅号印で
「文仲散士」と彫っているのだが、
普通、字はそのまんま呼ぶ。
そもそも字というのは
通名や渾名みたいなものなので、
「さん」やら「君」を付けずに
そのまんま呼んでくれれば良いものだ。


どうやら字や雅号に
色々付けるのは日本の風習らしい。
漢語でも「○○先生」というのはあるのだが、
イマイチ法則性が分からない。
ただ、永井荷風の『あめりか物語』の前書に
小波山人厳谷先生とあったりするから、
やはり雅号に先生と添えるのは変な気がする。


荷風の随筆には彼の友人井上唖唖が
しばしば出てくるのだが、
唖唖子は言文一致に反対した人で、
近頃の作家は雅号も持っていやがらねえ(無粋な連中だ)
という趣旨の発言が記されている。
彼によれば当世随一の悪文家は独歩だそうだ。
擬古文の小説を多数発表している平野啓一郎氏も
そう言えば雅号を持っていない。
もはや時代錯誤も甚だしき風習なのだろうか。
それにしても唖唖子が生きていたら何と評しただろうか。
擬古文体の癖に旧字旧かなじゃないからなあ。
何となく結果は見えそうだ。
我輩なんぞの書いた物に至っては
箸でつまむのも嫌がることであろう。