出版社界隈


碧天舎に続いて自費出版大手の
新風舎が潰れたそうである。
次は文芸社あたりが危ないかもしれない。
冷静な論調の『おおやにき』の
中の人が「出版とそのリスクについて」
というエントリで述べておられる様に、
これらは出版不況という文脈の問題ではなく、
「詐欺まがい商法が表沙汰になって
 客が寄りつかなくなりましたというだけのこと」
と、まあ身も蓋もないが、
そういう事になるのだろう。


ケータイ小説ブームなどでも思うのだが、
ろくに本を読んだ事も無い人が、
何故かくも本を書きたいと思うのだろうか。
今日の日本はオルテガの『大衆の反逆』が
驚くほどリアリティを持つようになっている。
80年近く前のスペインの哲学者曰く

今日の著作家は長い間研究してきたテーマについて書こうとペンをとる際に、次のようなことを念頭に置いておくべきである。つまり、そうした問題について一度も考えたことのない普通の読者がたとえ彼の著作を読むにしても、それは彼から何か学ぼうとするために読むのではなく、その反対に、その読者が詰め込んでいる凡俗な知識と食い違うところを見つけたら、著者を断罪しようとして読むのであると。……現代の特徴は、凡俗な人間が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとするところにある。


まあ、見る前に飛ぶと言うか、
読む前に書くというのは、
悪い面ばかりではない。
詩人と批評家を別け隔ているのは、
詩人が詩情を即時に
表現しようと格闘するのに対し、
批評家は詩情を解する事に努める事だ。
斯様に考える我輩にとって、
詩人に成りたい人々の感情が
理解出来ない訳ではないが、
詩人になれなきゃ死んだ方がマシだ
と喚いたH・ヘッセのような才能も、
無能であっても情熱だけは忘れなかった
エド・ウッドの様な激しい思い込みもないのだから、
詩情を解するに止めるにしくはなかろう。


新風舎は別段潰れても惜しくないが、
草思社の件は残念である。
我輩もいくつか本を持っていて、
好きな出版社の一つであった。
あるブックマーカーが、

『倒産社長の告白』『倒産社長、復活列伝』を出してた出版社が倒産。いかに経営者が著者をないがしろにしていたのかよくわかる事実。倒産すべき会社が倒産したとしか言いようが無い。

とブクマコメントで評していたが、
さすがにこれは言い過ぎだろう。


ベストセラー頼みと出版不況というよりは、
ハードカバーの一本槍だった草思社の場合、
新書ブームと新古書店のような、
一種のダンピングというか、
廉売競争の影響をもろに被った感がある。
以前なら単行本で出していたような本まで
最近は新書で出すようになっており、
また文庫書き下ろしというのも
今日さほど珍しい事ではなくなった。
新書の興隆というのは
新書読みの宮崎哲弥が喝破したように、
デフレ産業の象徴なのである。


最近、乙一FAN!の掲示板や
ブログなどを覗いていてショックだったのは、
新作のハードカバー『The Book』の
1500円が高いと言う人が多かった事だ。
ハードカバーでしかも特殊装丁、
ページ数も400近いのに、
あの値段で抑えられているのは、
初版の部数をかなり強気に刷っているからだろうが、
それでもまったく破格と言うべきであるのに、
若い層が中心とはいえ、
高いと目されてしまう。


昨今、悪趣味な毒々しいカバーを掛けられた、
講談社の新書のカバーにいたっては、
 憎悪や殺意すら覚える。
 新潮社の新書は中身は最悪だが、
 あの製本とデザインはとても良いと思う。
 我輩は人間工学フェチなのである)
普及版ばかりが売れるのは、
少々寂しい事である。