世界連邦と主権国家


●但し書き


覚書、中途の思索につき後々
本館にて補筆、再考のうえ掲載。
こちらで二、三書く、
漸加式の予定。
まとまりに欠いているため、
以降、読む方は諒とされたし。


●保守とリベラル、雑感。


思索とは異質なもの(特殊)との間を通じて、
普遍性を目指す運動である。
そういう意味において、
保守的でかつ改憲に賛成で、
あまつさえナショナリズム
再評価すべきだと考えるような我輩は、
リベラルのブロガーが多い『はてな』に
ブログを置いて良かったと思っている。


「人というものは簡単に憎しみ合う。
 たいしたことではないのに、
 馬鹿げた気まぐれのような区別が、
 悪意に満ちた感情を燃え立たせ、
 暴力的な対立を生む」
と米国第四代大統領のJ・マディソンは
フェデラリスト』の第十篇で述べているが、
我々が考えているより、
「保守」と「リベラル」というのは、
本来相反するような対立関係に
ある訳ではないのではなかろうか。


http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%a4%b3%a6%cf%a2%cb%ae%b1%bf%c6%b0
「世界連邦運動」の賛同者に
チャーチルが名を連ねていたのは驚きであったが、
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20050921#p1
こちらのブログで述べられている様に、
15歳のとき保守党員(保守主義)で、
35歳のときに自由党員(リベラル)だった。


似た様な事は保守主義の巨人と目される
エドマンド・バークにも言える。
彼は奴隷制廃止論者であり、
帝国主義(インドの植民地化など)に反対し、
アメリカ植民地の独立に賛成し、
民衆の権利や自由の擁護者であり、
トーリーではなくホイッグにして、
しかも、その最左派と目された
ロッキンガム候の側近だったのである。
今日なお彼が反革命の文脈でばかり
言及されるのは片手落ちと言う他は無い。


●日本の右翼と左翼


今日の覚書の主題である「世界連邦」に入るが、
http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20080226/p1
こちらのブログの執筆子が
「世界連邦」関連のキーワードを作成して、
議論の叩き台を作っておられるが、
先のチャーチルといい、
知らなかった事が多く新鮮であった。
今日、所謂「批判理論」ばかりが闊歩して、
こうした積極的な議題が提出されないのは、
まことに遺憾な事である。


翻って我が国の思想史において、
「世界連邦」の思想はさほど突飛な、
浮いた存在とは言えない。
日清、日露戦争ごろに
所謂「国権論」と「民権論」の間で
論争が生じ、右翼と左翼が分裂した。
左翼の代表格としては
中江兆民の学僕であった幸徳秋水が、
右翼の代表格としては、
玄洋社頭山満など
所謂アジア主義者があげられよう。


左右分裂後のアジア主義と初期の壮士達、
たとえば宮崎滔天などとを隔てているのは、
ナショナリズムの洗礼の有無である。
孫文の支援者であった滔天は、
支那人になりたい」と言い切っており、
(――支那人として支那の革命に参加したい)
ナショナリティの自覚がまことに希薄である。
ところが日韓合邦を契機として、
アジア主義者たちは急速に国粋化していく。


アジア主義の系譜にある北一輝孫文が決別したのは、
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=67
において宮台真司氏が言う様な
孫文が「単純欧化主義者」であったからではなく、
両者がナショナリズムの洗礼を
受けて居たが故の対立であり、
悲劇と見た方が自然であろう。
支那での革命に挫折した北一輝は、
連帯を放棄し、国粋的傾向を鋭角化して、
昭和維新」に身を挺したのである。
同様にナショナリズム以降のアジア主義者達は、
程度の差はあれ連帯と国粋の間でぶれている。


一方の左翼、社会主義者たち、
幸徳秋水堺利彦、木下尚江らは、
コスモポリタニズムの影響下にあるが故に、
逆説的ではあるが、
アジア(のナショナリズム)への
理解が皆無であった。
同様に明治社会主義とは断絶した形で登場した
(東大新人会など)共産主義者もまた、
その思想上、アジアにも、
そのナショナリズムに対しても無関心である。
戦前の左翼における唯一の例外は、
ゾルゲ事件で有名な尾崎秀実(ほつみ)で、
ソ連や中国を兄として日本を弟と看做し、
「世界的共産主義大同社会」を目指した。
これは言うなればナショナリズム以前のアジア主義
プロレタリア・インターナショナリズムの結合であり、
戦後左翼のアジア主義の源流とも言える。


地域統合の段階


「世界連邦」の思想が見直されるのは、
地域統合や地域間枠組みの構築などが
今日、趨勢にあるためだが、
教科書的に言えば、
地域統合には5つの段階が想定されている。


 1、FTA(自由貿易協定)
 2、関税同盟(CU)――域内関税の等率化
 3、市場統合――チェックの簡素化など
 4、通貨同盟(EMU)
 5、外交・安保統合


現在、最も先進的なEUは「4」の段階にある訳だが、
「2」の関税同盟に関しては税や社会制度の違いから、
必ずしも当てはまる訳ではない。
税制は財政に直結し、財政は行政に繋がるため、
この種の画一化は困難を極める。
通貨統合は金融政策の画一化を意味し、
経済格差の激しい地域、
たとえば東アジアなどは域内で
一人当たりのGDPで百倍以上の格差があり、
端的に言って現実味が無い。
EUでさえ、フランスとドイツが
失業率の上昇に苦しんでおり、
この先どう転ぶかは予測できない。


●「連合」と「連邦」の違い


米国の連邦主義の展開が示唆的。
即ち、13邦の独立から、
統一の、強力な中央政府
すなわち「連邦」の要請。
連合議会から連邦政府へ。
共和主義との親和性。


●ウェストファリア体制とナショナリズム


ウェストファリア体制、
すなわち主権国家を基調とした国際関係は
イラク戦争による揺さ振りがあったとはいえ、
なお堅固に存在する。
主権国家(ネイション)、
それを支えるものとしての
ナショナリズム(国家意志、国家理性)。


●世界連邦=「単一制(Empire)」?

http://d.hatena.ne.jp/bunchu/20071125/1196000863
の延長線上。
イデオロギーとしてではなく、
システムとしての理解。


●ウルトラ・ナショナリズム


近代の超克。
脱国家ではなく、
超克としての超国家主義
(――丸山真男的な意味ではなく、
オルテガ『大衆の反逆』による)
以下、『大衆の反逆』より引用。


「国家は一つの事物ではなく、運動である。国家はすべての運動がそうであるように、起点と目標をもっている」


「彼らの統一の基礎のように見えた物質的な原理をつねに超克しようとしているのである。これが目標であり、真の国家なのであり、その統一性は、まさに所与の統一のすべてを超克するところに存するのである。より以上のものへ向かうこの衝動が衰退すれば、国家は自動的に死滅してしまうのであり、物質的に基礎が固められていたかに見える既存の統一性――人種、言語、自然の境界による統一性――もはやなんの役にも立たない。つまり、国家は分裂し、分散し、アトム化してしまうのである」