技術と制度――保守的或はアナクロな省察



先日、動画共有サイトの「Stage6」が資金不足等の理由から2月28日を以って閉鎖する事を発表した。「YouTube」とその類似サービスの爆発的な普及後、大手としては初めての撤退となる。こうしたサイトに投稿される動画は著作権上問題があり、また、ビジネスモデルとして必ずしも確立されている訳ではない。現に日本で最も人気がある「ニコニコ動画」は、サービス開始以来赤字が続いている。回線維持費用もさることながら、利用者が増えれば増えるほど、サーバーの増強など設備投資を必要とする動画共有サイトは、スケール・メリットがコストに比して大きくない。動画共有サイトばかりではなく、乱立状態にあるブログ・サービスの幾つかも採算割れしている(例えば「Ameba Blog」などの大手でさえも)ものがある。インターネット百科事典の「Wikipedia」もまた利用者の急増から維持費用がかさみ、利用者にもっと寄付をする様に要請している。情報技術の進展は「Web2.0」といった流行語に代表される様に、専ら「革新」的、「革命」的に捉えられる事が多い。しかし、元来「技術」とは補助的な意味合いが強い。例えば、職人が熟練によって得る技術を機械が代行したとしても、それは「質」的な変化とは看做し得ない。もちろん熟練を必要としない分、生産性は向上するが、それは「質」ではなく「量」的な向上に過ぎないのである。問題は技術の進歩やその限界なのではなく、技術革新ばかりが言及され、技術を社会的に内包する或は範疇の内に収める「制度」が必ずしも整備されていない事だ。「制度」革新の停滞あるいは技術と制度との乖離が、情報技術の目まぐるしい進歩の様相を「革命」的と言うよりは、むしろ「過渡」的な印象を与える要因となっている。かつては技術的限界から発展を止めた制度や国家が存在した。ところが、今日おいてはむしろ「制度」が「技術」を強く抑制する様になっている。無論、今日においても技術的課題は健在であり、むしろ技術の進歩が多くの課題を新たに生み出す様になっている。問題は技術とは違って、制度は個人によって成立するものではない事だ。遺伝子工学など倫理的見地から制約される技術に至っては、慎重な議論と共通の理解を必要としており、そうした制度の変革は技術進歩に比べて遥かに遅々とした速度での変化しか望めない。社会的なシステムとしての制度ばかりではなく、個人や組織のレベルにおいても、確立されたモデルが明示されない限りは、技術の進歩は未規定な可能性の領域に留まる。「とりあえず作ってみる」ベンチャー型の進展を遂げてきた情報技術やサービス(企業)が、これまでと同様に技術進展を前に前に押し出して行く事が出来るかは不透明であり、著作権の様な制度的リスク(訴訟など)による揺り戻しが起こらないとは限らない。そもそも企業の存在意義は技術を革新させる事ではなく、利益の追求にこそある。今日採算を度外したサービスが多数存在している事は、(その将来性を予期しているにせよ)必ずしも正常な事態とは言えないのではないだろうか。