歴史と文学についての覚書


●誤解への弁明

「人間は事実を前にすると、きまってその真相を求めることよりも、理由を求めることに没頭するようである。事物をほったらかして原因を論じることに没頭するようである」(――モンテーニュ『エセー』)


思想史的な話を敷衍し過ぎたために、かえって要らぬ誤解を与えてしまったようだ。ここは一旦、歴史の話から我輩が本来意図した論旨(――筆が及ばなかった我輩の自業自得なのだが)に立ち返って説明したいと思う。少々不恰好だが、先に結論を述べておく。つまるところ、「歴史に理性(意志、法則)は貫徹されない」(――なお、我輩は純粋な意味での「本能」は動物においてすら存在しないと考えている。それは自然に貫徹される意志があるなどと考える様なものである)のであって、ヘーゲルとその亜流のマルクスのような歴史を「自由なる絶対精神の自己実現過程」(ヘーゲル)と見るのは全くナンセンスであるし、ヘーゲルよりは遥かに控えめであるが、歴史にある種の理性を見ようとしたランケら歴史主義派の歴史家の見解もまた誤りである。


そもそも古代ギリシアの哲学や思想、精神をヨーロッパ人が継承してきたなどという妄想は、所詮、近代のドイツ観念論哲学史家の修正主義的見解に過ぎない。ルネサンスに光を見出したのは彼ら近代人であって、中世を暗黒時代と看做したのもまた彼らなのである。古代から中世期において古代ギリシアの哲学を継承していたのは、ビザンティンであり、イスラームである。それは当時の西欧人がまったくギリシア語を解さなかった事から明らかであろう。ある種の連続性への願望がありもしない統一的な世界観を夢想させるが、そのような考えは所詮夢であり、一炊の間に潰えるほかはない。グローバリズムは距離を狭めはするだろうが、異なる時間軸をまとめあげることは現に挫折しているし、将来においても成功することはありえまい。


「普遍」に対するこの様なやや懐疑主義的な考え方を持つ我輩が、東浩紀氏や宮台真司氏、宇野常寛氏らによる批評に反発を覚えるのは、彼らが個々の作品を個々の作品において掘り下げていくのではなく、余人には理解し難い珍妙な理論を作り出し、そこから同時代の諸作品を選別した上で語り、それを批評などと称している事だ。「われ(かれ)の物語」でも、「われわれ(かれら)の物語」ですらなく、批評する個人の物語に諸作品を従属させるような行為に、堪え難い不快感を覚えるのである。彼らはホーリストではないが、同時に個人主義者でもありえない。この奇妙なキメラ(――或はホムンクルスと呼ぶべきかもしれない)達を前に強い反発を抱きながら、明確に表す言葉を持てないで居る。我々は不用意に「現代」なるものを語る。しかして一体、そもそも「現代」とは何であるのか。「現在」を貫く何がしかもの(――理論であれ、概念であれ、思想であれ、文化であれ、宗教であれ)を我々はなお想定しうるであろうか。しかも、そうした全体像は常に個人主義に、自由主義に、全く反するのである。だからこそ、今日悉く一切の物が断片と化し、消費する物は豊かになれど、生活は益々部分化されてしまう。それでも、我々が営みとして何かを語ろうとする事は、果たして可能なのだろうか。


●アナロジーの危険性


我輩がいろいろな意見を引きつつ遠まわしに述べようとした事を、『ド・シロート考え』というブログの執筆子がよりスマートな表現で述べておられる*1。つまり、「歴史を軽視する気はないが、精査しても現代に当て嵌めることは割と難しい」という事なのだが、換言すれば、歴史を安易にアナロジーとして用いる事は危険であるという事になろう。科学的な知見を科学的な文脈から恣意的に抜き出して、それをアナロジーとして用いる事は「ソーカル事件」以降、人々の自制を促しているようである。しかし、「統治者が自分の身近な過去から類推例を導き出し、そこから外交政策をつくるが、その多くに『歴史の誤用』が存在する」*2事を指摘した外交史家アーネスト・メイの“教訓”はあまり守られていないようである。歴史を慎重に検討する事によって、そこから有益な“教訓”を導き出せる事自体は否定していないが、近現代の外交史という遥かに身近で、限られた分野ですら、多くの間違ったアナロジーが導き出されたという事実をメイは指摘している。すべからく、歴史一般に対してはさらなる慎重さと一層の禁欲を求められるべきであろう。


広い意味での歴史に対する態度として、近代ドイツ史家だった林健太郎の以下のような考え方や警句は今日においても示唆に富んでいる。少々長いが二つほど引用させて頂く。

一般に私は歴史に対する見方として、その中における人間の意志の現象としての行為の能動性――それは主体性という言葉で呼ばれることもある――、歴史の進展に対する個人の役割を重視する立場に立つ。科学性を標榜する歴史家はとかく、たとい「必然理論」の唯物史観をとらなくても、事物の結果からそれ以前の経過を判断する傾向があり、歴史の中に存在した複数の可能性、その中における人間の決断とその行動の責任性を見逃すおそれとしない。私は人間を集団的に考察する社会史を軽視するものではないが、しかもなおその中で歴史学が本来課題とした個々の事物、事件の究明とその解釈を重んずる所以もそこにある。(――林健太郎『昭和史と私』文春文庫より)

自由主義の強調が戦後の日本においてとくに必要とされるのは十分の理由がある。それは一口にいって、日本では明治維新によって社会の近代化を開始して以来一世紀近くを経ているにもかかわらず、その基礎をなすべき近代精神の確立がはなはだ不十分だということにある。このことが現代日本の社会に独特の歪みを与えているのであるが、この歪みというのは現実と精神の間のギャップから生じているのであって、これまでしばしばいわれたような現実の歴史過程そのものの中にあるのではない。明治維新は不徹底な革命であったとか、この革命における民衆の要求が資本家、地主によって抑えられたためにその後の歴史が誤った過程を辿ったとかいうようなことがよくいわれたが、それは正しい歴史の見方ではない。かえってそのような歴史の考え方自身に認識の歪みと立ちおくれが存在するのである。皮肉なことに現代日本の社会において一番おくれているのは民衆や実業家あるいは政治家ではなく、みずからもっとも進歩的なりと称している一部の知識人である。しかもそれらの知識人がオピニオン・リーダーとして相当の勢力を持っているところに、現代日本の最大の問題が存するのである。(――林健太郎「現代における保守と自由と進歩」より)


赤木智弘氏のこと


ところで、終風子は『極東ブログ』の「[書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」*3において、「(引用者注:高橋氏の言うような新旧の)価値観の衝突は、糞ブロガーの視野では、「若者を見殺しにする国」(引用者注:赤木智弘著)といった不思議な歪みに変形しているようにも思われる」とさらりと触れておられるのだが、我輩はもっと単純に考えるべきであると思う。赤木智弘氏は高橋源一郎赤木智弘の『「丸山真男」をひっぱたきたい』は石川啄木の『時代閉塞の現状』とそっくりだと指摘している」*4のに対して、上記参照ブログのコメント欄においてこう答えておられる。

私はかつての状況と現在がぜんぜん類似しているとは思わないですけどね。だいたい、そこで論じられているのは、当時に大学に行けるようなエリートであって、「下宿屋でごろごろ」というのは、どん詰まりのフリーターではなく、ただの裕福なニートです。そして、最たる違いは、「彼らに何十倍、何百倍する多数の青年」の存在です。すなわち当時は貧困こそマジョリティーだったわけで、社会そのものが貧困であっても生活できる状況だった。しかし今は貧困者はマイノリティーに過ぎず、貧困では生活できないのです。私はケータイ小説なんか書きません。そんなものは裕福なニートがひまつぶしに書くものです。ケータイ小説に重要なのは、作品性でも緻密な描写ではなく、ただ「共感性」です。そして、共感されるのはその状況がマジョリティーの現状、もしくは心象風景だけです。それこそ、貧困者がケータイ小説を書いて共感されるとしたら、それは安定労働層というマジョリティーにとって「有益な」貧困のあり方を提示したときですね。「ダメ連」とか「素人の乱」とかの、貧困者が自ら「私はもう降りた」という降伏宣言に対して、安定労働層は安心して共感するわけです。しかし、私はあくまでも安定労働層と同等の幸福を要求するから、いろんな人から「貧困者は貧困者らしくしろ」と、批判されるのです。だから、私は安定労働層に共感されるものなんて、絶対に書きません。


この赤木氏のコメントは直観によるものであるにせよ、高橋源一郎氏の凡庸な批評と比べると、まことに遺憾ながらそこに光るものを見出さざるを得ない。もう随分と昔、すでにこうした石川啄木の「時代閉塞の現状」に対する純朴な読みに対して福田恒存が「個人主義からの逃避」*5において批判している。


福田は「大ざつぱにいへば、日本の近代文学史は個人主義の成立と挫折の歴史だつた」と述べた上で、この「個人主義の挫折」を「時代閉塞の現状」のような言葉を手がかりに「社会的、経済的条件のはうから、個人主義の挫折を説明していかうとするやりかた」を批判している。つまり、「文学史家なり批評家なりが、みづから考へることをやめて、その対象としてゐる文学史のうちに登場する作家や批評家、ことに批評家の言葉を通じて、かれらの精神や時代を理解しようとすること、それが思考的怠惰からくるあやまち」である。なぜなら、「作家が自己について語つたことを、そのまま受け入れるくらゐ、素朴な態度はない」からだ。「『時代閉塞の現状』といふような言葉を、そのまま真に受けてさういふことをいつた主体側の無意識の領域まで遡らうとせず、逆に客体側の現実をひつかきまはして、その言葉を立証するのに好都合な資料を並べたて、それで文学史が出来あがるといふ珍妙なことがおこなはれ、それが誰にも疑われぬままに公然と通用してゐる」と当時の唯物主義(――具体的に言えば、久野収鶴見俊輔など)的な解釈を痛烈に批判している。


後で追記するかもしれないが、とりあえずこの辺で一旦筆を擱く。

*1:★参照:http://masuda39.blog96.fc2.com/blog-entry-4635.html

*2:★参照:アーネスト・メイ『歴史の教訓』

*3:★参照:http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_b799.html

*4:★参照:http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080216

*5:※注:引用はすべて『福田恒存全集』に拠るが、原文は正字正かなである