西洋思想史に関する雑多な覚書


本館のエントリのためにルソーとか、ロックとか、ミルを読み直しているのだが、たまたま見かけたエントリにあった、『思想地図』で交わされたというルソー解釈などに少々首を傾げる部分があったので、それについてと、西洋思想史について若干の覚書を残しておく。


●またルソーか。


B・ラッセルは『西洋哲学史』において「ルソーは狂乱していたが影響力をもち、ヒュームは正気であったが信奉者をもたなかった」と例の皮肉っぽい口調で述べているが、どうやら極東においては、引用者は多いが、誤読する人が多いようである。何時ぞやの宮台真司氏ほど酷くはないが、たとえば、『萌え理論Blog』というブログの『思想地図』の第一巻の書評エントリにおいて、

東浩紀氏が、ルソーの「一般意志」論を提出して、後半の第二部が始まる。ホッブズの場合、自然状態の混沌に秩序をもたらす主権者は「王」で明快だが、ルソーの主権者は「一般意志」と、具体的な人物ではなく、曖昧なところがあるという。これを、中島は右派、萱野は暴力、白井はシンボル、という自らの問題領域に引き寄せて議論が進む。*1


とあるのだが、これにはいくつか間違いがある。詳しくは後述するが、そもそも「社会契約説」という言葉がルソーによるもので、ホッブズやロックの理解がルソーのそれに引っ張られているきらいがある。総称を「契約説」とし、個別においてはホッブズが「統治契約」、ロックが「信託(Trust)」、ルソーが「社会契約」という風に分けた方が混在しなくて良いのではないだろうか。まあ、いずれの議論にせよ、「契約説」などいうものは「解説的神話」(ラッセル)に過ぎないというのが、我輩の理解なのだが。


●「自由」という言葉


思想史においては「名称」と「実相」が必ずしも一致しないので、読み手は注意深く読み解いていかねばならない。最近であれば、「表現の自由」という言葉が、法的な意味を超えて、倫理的な意味合いを持つ様になっている。これは困った事だと思っているのだが、本筋から逸れるので詳しくは述べない事にする。


「自由」の思想は遡れば古代ギリシアの哲学(特にソクラテス以降)に達するのであるが、彼らにとっての「自由」とは「自足」の意味なのである。たとえば、アリストテレス「人間はポリス的な動物である」と言ったのは、自足する自然*2に対して、文明社会(人工物)は自足していないという理解から来ている。ルソーの自由観はこれに近い様に思われるが、中世神学などにおいては自由意志を持つのは神だけであり、神に対する絶対服従が「自由」の意味であった。また、従来、デカルトは近代的自我(観)を方向付けた哲学者であると考えられてきたが、木田元先生によれば、デカルトの「理性」はキリスト教的な世界創造論を前提」としており、それは「超自然的な神の〈理性〉の出張所とか派出所のようなもの」であると考えていたようである*3。これでは「自由」や「自我」の思想というよりは、「理神論」的な普遍的世界(――我が世界に先行するのではなく、世界が先行して存在する)の思想なのではないか。唯名論で、しかも、アリストテレスと違って機械論的自然観を有していたホッブズであっても、自然意志は存在しないし、「自由」とは外的障害の欠如を意味するに過ぎない。ロックもまた彼の議論には前提として「神」が横たわっているのだが、彼の「自由」というのは、結局のところ所有権(財産権)に収斂してしまうのではないか。我々の考える様な「自由」というのは、実のところ、あまり古くに遡れない(――辛辣な表現で言えば、良かれ悪しかれ多分に俗流化されて受容された)思想なのではないかと我輩は考えている。


●「主権」という言葉


元々、「主権」という概念を編み出したのは、王権神授説の思想家(J・ボダン)であったのだが、体内的なそれと対外的なそれは必ずしも源泉をともにしていないのではないかと思われる。つまり、前者は主体原理がローマ法の概念に包まれた、国家の法的な源泉(それ自体は法の拘束を受けない至高性)を指すのに対し、後者はウェストファリア条約以降という歴史的に生成されたレジーム(枠組み)に起因しているからである。政治権力が分散していた中世社会(――領主裁判権やら、教会法やら)はともかく*4、統一以降の近代社会にそのような概念は果たして必要なのだろうか。後者に至っては国際的な慣習に過ぎず、しかも、必ずしも絶対的ではない。絶対的ではないからこそ、某国はビルを倒壊された腹いせに二つほど国を滅ぼしている。内乱状態のアフガンはともかく、曲がりなりにも独立国家であったイラクフセイン政権を崩壊させた事は、国際法的な正当性が存するかどうか、大変疑わしい。


勿論、建前として想定されているにせよ、それを留保無く否定しきる事は出来ない。総体としてのそれを否定しまうと「国際社会」などというものは机上ですら想定できなくなるし、個別として否定してしまうと日本国憲法のような奇妙な平和主義が生まれる。「反軍演説」などで知られる斎藤隆夫ですら、軍隊を持たない国は独立国とは言えないと述べているが、実際、アメリカ人の書いた戦略学や国際関係論を読むと、我が国はやれ「半主権国」、やれ「属国」、甚だしきは「朝貢国」などと書かれている時がある。


●「主権」の所在を巡って


内田樹氏による憲法論を読んでいると、氏が平和を状態ではなく目的として、戦争を状態ではなく手段として誤解してしまっている事に気が付く。この種の誤謬は内田氏に限ったものではないが、いい加減、何とかならないものかと思う。それはさておき、「主権」の問題に戻るが、内田氏は以下のような主権に関する憲法論を展開されておられる。


日本国憲法中の条項で、それに類するテクストがアメリカ人たちが参照したはずの先行憲法の「どこにも」含まれていないものは一つしかない。それは第一章「天皇」である。もし「アメリカ軍に押しつけられた」という歴史的事実それ自体がテクストの価値を損なっているということを憲法改正心理的動機に数えるのなら、「まず」改訂すべきは九条ではない(何度も言うとおり、九条は1927年の不戦条約の文言を「コピー&ペースト」したものであり、大日本帝国はいかなる軍事的強制にもよらずこの条約に調印していたからである)。もし「押しつけ」を理由に廃絶すべき条項があるとすれば、何よりもそれは「第一条天皇」である。だが、私は第一条を改訂せよ(そして「天皇制を廃止せよ」あるいは「天皇親政」に戻せ)と主張する「押しつけ憲法論者」に会ったことがない。なぜ当然「現実」となってよいはずの「第一章改訂」が議論の主題にならず、当然「現実」となってよいはずの「憲法内部の論理的不整合批判」を語る声が聞えないのか?それは「現実」と「非現実」の分岐点はどこにあるのかという問いが決して「いわゆるリアリスト」たちの思考の主題になることがないからである。*5


細かい点は『おおやにき』の大屋先生によるツッコミを参照して頂きたい*6が、天皇親政に戻せと主張する改憲論者に会ったことがない」という点に関して、「三島由紀夫」と茶化した解説しかなさっておられないので、根本的な誤解を解いておきたい。旧憲法=君主主権=天皇親政というのは、無知のみが許す暴論なのであって、歴史的な事実に反する。「明治憲法」第三条の天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」というのは、馬鹿正直に字面をおってはいけない。というのも、明治憲法の制定者たちが天皇に具体的な政策判断の責任及ばないように、天皇親政を否定することで、天皇の『神聖不可侵』性を守ろうとした」*7からである。さらに言えば、明治憲法下における枢密院というのは、その牽制役、ブレーキとして設けられたものなのである*8。ただ、内田氏の現行憲法の「論理的不整合」と第一条の改正に関しては概ね同意する。「国民主権」という言葉と「八月革命説」というのは、論理的不整合が生み出した奇妙な妥協に過ぎない。「国民主権」などと言うからには、国家以前に国民が存在しなければならない(――「鶏が先か、卵が先か」!)し、「人民主権」であるならば、そもそも君主など必要とされないであろう。


アメリカの場合


憲法改正に伴う「憲法(=国制)の論理的不整合」というのは、日本だけではなくアメリカにも見られる。実はアメリカの連邦憲法はそれ以前の連合規約を無視する形で制定されたために、憲法が違法であるという見方と連合規約が破棄されたという見方が生じた。この矛盾は最終的に南北戦争の遠因となったのだが、独立宣言や連合規約の存在を照らした上で考えると、南部連合の主張というのはむしろ道理に適っているのである。なぜなら、この道理を否定しまうと、そもそもアメリカ植民地のイギリスからの独立自体が違法になってしまう。しかし、だからこそ、独立後のアメリカでロックやT・ペインは顧みられなくなるのである。当然であろう。如何なる政体といえども分裂主義者は忌み嫌われるものである。故に州権論的な見方を否定し、このユニオンが州ではなく人民に拠っているのだとした、リンカーンの見方の方がある意味では革命(改変)的であり、またある意味では保守的なのである。リンカーンの有名なゲティスバーグ演説の訳を巡って、あれは「国民」とすべきで、「人民」は誤訳なのだと藤岡信勝氏が以前主張していたが、我輩は「人民」で正しいと考える。この演説が民主主義と言うよりは、「ユニオン」の正当化に対して向けられているからである。この点、「合衆国」という訳語は中々意味深なもので、連邦憲法の創設と南北戦争の意義をよく理解したものの様に思われる。


●イギリスの場合


これは憲法と言うより、「国体」乃至「国制」と言うべきなのかもしれないが、国体変更(改正)を巡ってイギリスでも葛藤があったようである。それは名誉革命体制と王位継承に対するもので、王位はジェームズ二世に継承されるべきであったという考えはそれなりの支持を得ていた。それはジャコバイトほど過激化しなくとも、トーリーという形で温存された。実はジャコバイトの叛乱というのはかなり熾烈で、その勢いにウィリアム三世は一時ロンドンからの撤退を真剣に考えたほどであった。名誉革命体制*9に対する困惑というのは特にトーリー史観の人々に共通して見られ、王政(国王)・貴族政(貴族院)・民主政(庶民院)という混合政体という理解で一応納得した様で、この時代のイギリス人はこの混合政体を指して、「共和国 Republic」と呼んでいる*10。なお、ピューリタン革命時の「Commonwealth」を、我が国では「共和国」と訳しているのだが、これは我々が考えるような「共和制」の概念で捉えない方がよい。要するに、これは王の私有物ではないと宣言しているのであり、こうした名称は独立以前のアメリカ植民地にも見られる。このえらくまた古色蒼然たる混合政体論がアメリカにまで影響を与えていて、アメリカの、政府構成はロックではなくモンテスキューがそのモデルである。すなわち、『権力分立論』とは、『行政』・『司法』・『立法』の三権分立ではない。彼らの考えていた権力分立論とは、『一者』(国王)・『少数者』(貴族)・『多数者』(庶民)である。なんと「混合政体論」だったのである」*11


ホッブズの「主権者」


最初に引用したのに随分遠まわしになってしまったが、ルソーらの事に話を戻す。ホッブズの場合、自然状態の混沌に秩序をもたらす主権者は『王』で明快だが、ルソーの主権者は『一般意志』と、具体的な人物ではなく、曖昧なところがある」とあるのだが、これは間違い。ホッブズが『リヴァイアサン』において、「主権権力者」の意味として用いているのは「Actor」(行為者)であって、必ずしもそれは「王」を意味しない。契約者にとっての「第三者」(⇔本人)の意味であって、個人でなくとも合議体(議会)が「主権者」になりうる。彼は「国家」を「一つの人格(Person)」と看做し、「人工的人間」とも呼んでいる。この人工物を正当化(Authorize)するのが、「本人」(Author)による統治契約なのであり、この「人工的人間」の意志として法律が表されるのである。だから、彼は「法は不正なものではありえない」*12とも述べている。機械論的な自然観と唯名論的な理性の結果、彼の国家論というのは純粋にシステムの問題なのであって、個人は端から度外視されている。この主権者などに対する誤解は、東氏当人によるものなのか、それとも引用者によるのかは分からないが、そもそもルソーにおける共和主義というのは、単純化して言えば、ホッブズマキアヴェッリなので、ホッブズに依拠した議論をすればよかったのにと思う訳である。「人間を単位にすると、必然的にメンバーシップの問題が出てくる」のが嫌なのなら、我々は機械論的世界観と功利主義以外に道を持たないであろう。


ホッブズにおける「自由」


ホッブズの自由論は『リヴァイアサン』において重要な意味を持つので、やや主権から離れるが触れておきたい。以下、第二十一章「臣民の自由について」から引いているが、大雑把な要約風に引くので、正確な文章は岩波文庫版の第二巻を参照して欲しい。


自由とは本来、反対の欠如を意味する。水が堤防や容器によってそのなかに保持され、そうでなければより大きな空間に広がるように、自由とは空間的な概念であり、運動の外的障害が存在しない事である。したがって、自由な人とは、本来の語の意味に即して言えば、「彼の強さと知力によってかれがなしうるものごとのうちで、彼がする意志をもつものごとを、おこなうのをさまたげられない人」を意味している。


自然的自由において《恐怖と自由は両立する》。たとえば、舟が沈むだろうという恐怖から、彼の財貨を海中に投じる場合、彼はそのことをきわめて自発的に行っている。もし彼が拒否しようと意志すれば、そうしうるのである。したがって、それは自由であった人の行為である。同様に人々がコモンウェルスの中で、法への恐怖からする全ての行為は、行為者がそれを回避する自由を有した行為なのである。さらに、水において、それが水路によって下る自由だけでなく、必然性も有するように、《自由と必然は両立する》。


人間は、平和の獲得と、それによる自分達の保存とのために、人工の人間(リヴァイアサン)をつくったのであり、それを我々はコモンウェルスと呼んでいる。同様に彼等はまた市民法(要するに実定法)と呼ばれる人工の鎖をつくった。しかし、人々の全ての行為や語を規制するのに十分な諸規則が規定されているようなコモンウェルスは、世界中のどこにも存在しないので、必然的に法が黙過したあらゆる種類の行為について、人々は最も彼らに有利だと自らの理性が示唆する事を行う自由を持つという事になる(=実定法によらない限り、人は何をしてもよい自由を持つ)。臣民の自由とは諸行為を規制するにあたって、主権者が黙過した事柄についてのみ存しているのである。


古代ギリシア人やローマ人の歴史や哲学において、また、彼らから政治学に関する全ての知識を得た人々の、著作や議論において、あんなにしばしば、かつ、称えられて述べられている自由は、諸個人の自由ではなく、コモンウェルスの自由のなのである。アテナイ人やローマ人は自由であったし、言い換えれば自由なコモンウェルスであったのだが、それは、誰か個々人が彼ら自身の代表に抵抗する自由を持っていたからではなく、彼らの代表が他国民に抵抗したり、それを侵略したりする自由を持っていたからなのだ。コモンウェルスが君主政治であろうと民主的であろうと、その自由は依然として同じなのである。


●ルソーにおける「契約説」


ルソーの『社会契約論』はホッブズの「契約説」を超克しようとした意図が感じられる。先にホッブズの自由観を引いたのはそのためである。

自らの自由の放棄は、人間たる資格、人間の諸権利、さらにはその諸義務をさえ放棄することである。すべてを放棄する人には、どんな補償もありえない。こうした放棄は、人間の本性と両立しない。かつまた、自分の意志からあらゆる自由を奪うのは、自分の行為からあらゆる道徳性を奪うことである。要するに、一方には絶対的な権威を、他方には無制限の服従を取り決める約束は、中身のない矛盾した約束である。(『社会契約論』第一編、第四章)


ここでルソーはホッブズの統治契約論を批判している。つまり、ホッブズにおいては主権者(主権権力の行為者)というのは契約の当事者ではなく、第三者である。各人が契約によって第三者に権利を譲渡することによって、社会(共同体)を創設し、かつ、それにおける統治行為を正当化している。このため、ホッブズにおける契約は片務的なのであり、主権者は法以外に何ら拘束される事が無い。そのためにルソーは主権の譲渡をホッブズのような主権者ではなく、社会(共同体)に対して譲渡するのである。しかし、この「各構成員は自分のもつすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡する」(第一編、第六章)というのは、明らかに前後の論理展開が矛盾している。この契約説に対しては、ヴォルテールですら「こんなものはすべてでたらめだ」と、彼の蔵書の欄外に書き込んでいるほどだが、ルソーでなくとも積極的にある種の全体性(=モラル)を構築しようとすると、どうしてもそうならざるをえないように思われる。即ち自由主義においては全体が抹消され、部分が断片化するが、全体主義においては部分が抹消され、全体が部分化する。


第三編、第十五章において、ルソーはマキアヴェッリ的な(――市民的な徳、公的なものへの献身[Res publica]に基づく)共和主義的見解を述べている。「公共の職務が、市民たちの主要な仕事でなくなり、また市民たちが自分の身体で奉仕するよりも、自分の財布で奉仕するほうを好むようになると、そのときにはもはや国家は滅亡に瀕しているのである」。さらに「国家がよく構成されていればいるほど、市民のこころのなかでは、公共の問題が私的な問題より優越してゆく。私的な問題ははるかに減少しさえする。なぜなら、共同の幸福の総和が、各個人の幸福にとっていっそう大きな部分を占めるようになるので、各個人が個別的に配慮して自分の幸福を求める必要は少なくなるからである」とさえ言い切っている。また、第一編、第七章においては、「自由への強制」を匂わせており、このため、ルソーの契約説において、異質な他者は存在する事が出来るのか、或は私的な領域は存続可能であるのか、といった疑問を抱かざるを得ないのである。卑俗な表現で譬えれば、『エヴァンゲリオン』におけるゼーレの「人類補完計画」に似ている。あの計画自体は老人達のエゴ(「特殊意志」)なのであるが、計画が達成されて後、ドロドロに一つに解け合ってしまった(「一般意志」の体現!)人類には、もはやエゴは存在しないと強弁しうる。同様に、この「契約論」で示される一般的な意志が、ルソーの特殊な意志(エゴ)と区別しうるのだろうか。遺憾ながら、タルモンによる「全体主義的民主主義」の源流というルソーへの断罪的評価には、一面の正しさがあると言わねばなるまい。


ルソーにおいても、ルソー以外の論者においても、「主権」という概念と「一般意志」という概念は峻別されてしかるべきであるが、先の東氏を筆頭とする論者達はこれらを明確に区別していないように思われる。ルソー自身、曖昧な表現をしているが、第三編、第十五章に「主権は代表されえないが、それは、主権を譲り渡すことができない〔中略〕主権は本質上、一般意志のなかに存する」と述べている。さらには「一般意志はつねに健在であり、普遍で、純粋である」(第二編、第三章)と言っているのだが、それではかかる意志が一体如何なるところから生ずるのか、ルソーは証明していない。これでは、アプリオリに存在する(――と想定される)自然法デカルトの理性(神様の出張所!)などと、区別できないのではないか。ヘーゲルの「絶対精神」などもそうなのだが、この種の観念は理性ないし普遍性が神格化した、薄気味の悪い化け物じみたものでしかありえない。「この世の中に、名まえの他に普遍的なものはなく、なぜならば名付けられたものごとは、それら一つ一つが個別的で特殊的なものだからである」(『リヴァイアサン』第四章)という、オッカムのウィリアム以来の唯名論を発展させたホッブズの方が、まだしも論理的な整合性や説得力があるのではないか。我輩は「一般意志」という言葉を抽象的な「輿論」の意味で用いはするが、ルソー的な見解はナンセンスであると考える。ルソーのそれでは、方向性に過ぎないものが目的(――しかも、起点が明らかではない)と化しているからだ。


東氏らの議論の中でも触れられているように、ルソーは中間団体を否定しているが、それはそこに政府が収まるためである。政府は特殊意志を持つために必ず腐敗すると考え、政府は主権者の僕として、主権と臣民の間に置かれるのである。ただ、ホッブズにおける「主権者」のように、ルソーも一般意志の最高指揮下に置かれるとはいえ、「立法者」というものを置いており、その限りにおいて(――論理展開の矛盾や飛躍もあいまって)区別するのが難しい。いや、そもそも、ルソーであれ、ホッブズであれ、契約説には、「主権者」と「主権権力者」との間で論理的飛躍点が存するように思われる。カントやヘーゲルプロイセンのフリードリヒ大王を讃えたように、実のところルソーもまた「啓蒙専制」というものを否定していない。ルソーは部分的に引きやすいが*13、それ全体の議論は、時に飛躍し、矛盾し、何より破綻しているのではないか。


●結び


覚書にしては長いものになってしまった。スマートにまとめられなかった事もあって、ロックの契約説とミルの自由論を省いたが、短く言及しておくと、ロックの「信託 Trust」が現行憲法の前文に影響を与えているのだが、その対国内への「信託」と対国外への「信頼」というものは論理的に並立しえないと我輩は考えている。国家が公民を保護し、自らを自衛しなければ、公民に対する義務に違反しているし、公民に対する義務を守ろうとすれば、諸国民への「信頼」というものが成り立っていない事になる。そもそも、対外的な方の「信頼」は、双方向的でないという意味で、「信託」足りえないのではないか。仮に片務的な契約だとするならば、それでは主権の所在など最早どうでもいい事になろう。何故なら、自衛権を持たないという事は、究極的に言って主権が存在しないという事になるからである。我が国の君主*14にも無ければ、国民にも存しない。自らの運命を決し得ないという事は得てしてそういう事なのである。主権という主体性の消失は同時に諸国との繋がりも喪失する。遺憾なことに、その意味するところを、我が国の観念的な「平和主義」者は理解していない*15


内田氏などもそうだが、東氏などの議論を見ていても、そうした傾向が感じられる。国家の論理は嫌だとか、H・アレントの名前を出しながら、それこそ「特殊意志」的な事をおっしゃるのだが、国籍喪失によって、何の権利も保障されなくなった経験を持つ亡命者アレントにとって、その様な国家に対して忘恩にして、微温的な寝言は吐かなかったし、また理解もしなかったであろう。大体、アレントは「人権」などというものは「ヨーロッパ人の偽善以外の何ものでない」という風な事をのたまった人である。

*1:◎引用=http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080427/p1

*2:☆脚注:なお、アリストテレスの自然観は目的論的である

*3:★参照:木田元『新人生論ノート』集英社新書

*4:☆脚注:この点、アダム・スミスやD・ヒュームらがフランス絶対王政を擁護したのは注目に値すると言えよう。彼ら古典的自由主義者は功利主義との差異を強調されがちなのだが、体制に対して穏健派である事を抜きにすれば、さほど見解に対立はないのではないように思われる

*5:◎引用=http://blog.tatsuru.com/archives/000981.php

*6:★参照:http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000190.html

*7:◎引用・参照:井上寿一日中戦争下の日本』講談社選書メチエ

*8:☆脚注:明治憲法や我が国における立憲君主制の実態については、伊藤之雄、瀧井一博両先生のものが面白い

*9:☆脚注:それ以前にピューリタン革命で議会の権威の下に国王を処刑した過去があるので、この二つの革命はどう関連付けて叙述するか難しい。トーリー史家は「内乱The Civil War」として断罪したが、後のホイッグ史家によって再評価されもした。この両革命を総称して「イングランド革命」と命名もあるにはあるが、あまり定着していない様である

*10:☆脚注:D・ヒュームのようなトーリーから、E・バークのようなホイッグに至るまで

*11:◎引用・参照=http://blog.goo.ne.jp/william1787/e/6fbae6f127c1e52854f04a3cad8ceeff

*12:☆脚注:なお、彼においては正と善が分離している。つまり、善い法と悪い法はあっても、契約によって正当化されている以上は、論理的帰結として不正な法は存在しえない。また、ロックやルソーと違って、彼における主権者の権力は無制限である

*13:☆脚注:『社会契約論』では自然法に依拠しない実定法への批判や義務論が展開されており、これがカントに影響を与えている

*14:☆脚注:ところで、「天皇」というのは固有名詞であって、一般名詞ではない。一般的な意味において、他国の君主制と区別する必要がないのだから、所謂「天皇制」ではなく「君主制」と呼ぶべきであろう。なお、我輩自身は機関説論者であって、システム的な安定度のために、女子にも皇位継承権を認める事は、考慮に値すると考えている

*15:☆脚注:なお、我輩は所謂「普通の国」という言説に対しては否定的である。そもそも「普通の国」とは何であるのか、彼等は答えていない