西洋思想史に関する雑多な覚書


本館のエントリのためにルソーとか、ロックとか、ミルを読み直しているのだが、たまたま見かけたエントリにあった、『思想地図』で交わされたというルソー解釈などに少々首を傾げる部分があったので、それについてと、西洋思想史について若干の覚書を残しておく。


●またルソーか。


B・ラッセルは『西洋哲学史』において「ルソーは狂乱していたが影響力をもち、ヒュームは正気であったが信奉者をもたなかった」と例の皮肉っぽい口調で述べているが、どうやら極東においては、引用者は多いが、誤読する人が多いようである。何時ぞやの宮台真司氏ほど酷くはないが、たとえば、『萌え理論Blog』というブログの『思想地図』の第一巻の書評エントリにおいて、

東浩紀氏が、ルソーの「一般意志」論を提出して、後半の第二部が始まる。ホッブズの場合、自然状態の混沌に秩序をもたらす主権者は「王」で明快だが、ルソーの主権者は「一般意志」と、具体的な人物ではなく、曖昧なところがあるという。これを、中島は右派、萱野は暴力、白井はシンボル、という自らの問題領域に引き寄せて議論が進む。*1


とあるのだが、これにはいくつか間違いがある。詳しくは後述するが、そもそも「社会契約説」という言葉がルソーによるもので、ホッブズやロックの理解がルソーのそれに引っ張られているきらいがある。総称を「契約説」とし、個別においてはホッブズが「統治契約」、ロックが「信託(Trust)」、ルソーが「社会契約」という風に分けた方が混在しなくて良いのではないだろうか。まあ、いずれの議論にせよ、「契約説」などいうものは「解説的神話」(ラッセル)に過ぎないというのが、我輩の理解なのだが。


●「自由」という言葉


思想史においては「名称」と「実相」が必ずしも一致しないので、読み手は注意深く読み解いていかねばならない。最近であれば、「表現の自由」という言葉が、法的な意味を超えて、倫理的な意味合いを持つ様になっている。これは困った事だと思っているのだが、本筋から逸れるので詳しくは述べない事にする。


「自由」の思想は遡れば古代ギリシアの哲学(特にソクラテス以降)に達するのであるが、彼らにとっての「自由」とは「自足」の意味なのである。たとえば、アリストテレス「人間はポリス的な動物である」と言ったのは、自足する自然*2に対して、文明社会(人工物)は自足していないという理解から来ている。ルソーの自由観はこれに近い様に思われるが、中世神学などにおいては自由意志を持つのは神だけであり、神に対する絶対服従が「自由」の意味であった。また、従来、デカルトは近代的自我(観)を方向付けた哲学者であると考えられてきたが、木田元先生によれば、デカルトの「理性」はキリスト教的な世界創造論を前提」としており、それは「超自然的な神の〈理性〉の出張所とか派出所のようなもの」であると考えていたようである*3。これでは「自由」や「自我」の思想というよりは、「理神論」的な普遍的世界(――我が世界に先行するのではなく、世界が先行して存在する)の思想なのではないか。唯名論で、しかも、アリストテレスと違って機械論的自然観を有していたホッブズであっても、自然意志は存在しないし、「自由」とは外的障害の欠如を意味するに過ぎない。ロックもまた彼の議論には前提として「神」が横たわっているのだが、彼の「自由」というのは、結局のところ所有権(財産権)に収斂してしまうのではないか。我々の考える様な「自由」というのは、実のところ、あまり古くに遡れない(――辛辣な表現で言えば、良かれ悪しかれ多分に俗流化されて受容された)思想なのではないかと我輩は考えている。


●「主権」という言葉


元々、「主権」という概念を編み出したのは、王権神授説の思想家(J・ボダン)であったのだが、体内的なそれと対外的なそれは必ずしも源泉をともにしていないのではないかと思われる。つまり、前者は主体原理がローマ法の概念に包まれた、国家の法的な源泉(それ自体は法の拘束を受けない至高性)を指すのに対し、後者はウェストファリア条約以降という歴史的に生成されたレジーム(枠組み)に起因しているからである。政治権力が分散していた中世社会(――領主裁判権やら、教会法やら)はともかく*4、統一以降の近代社会にそのような概念は果たして必要なのだろうか。後者に至っては国際的な慣習に過ぎず、しかも、必ずしも絶対的ではない。絶対的ではないからこそ、某国はビルを倒壊された腹いせに二つほど国を滅ぼしている。内乱状態のアフガンはともかく、曲がりなりにも独立国家であったイラクフセイン政権を崩壊させた事は、国際法的な正当性が存するかどうか、大変疑わしい。


勿論、建前として想定されているにせよ、それを留保無く否定しきる事は出来ない。総体としてのそれを否定しまうと「国際社会」などというものは机上ですら想定できなくなるし、個別として否定してしまうと日本国憲法のような奇妙な平和主義が生まれる。「反軍演説」などで知られる斎藤隆夫ですら、軍隊を持たない国は独立国とは言えないと述べているが、実際、アメリカ人の書いた戦略学や国際関係論を読むと、我が国はやれ「半主権国」、やれ「属国」、甚だしきは「朝貢国」などと書かれている時がある。


●「主権」の所在を巡って


内田樹氏による憲法論を読んでいると、氏が平和を状態ではなく目的として、戦争を状態ではなく手段として誤解してしまっている事に気が付く。この種の誤謬は内田氏に限ったものではないが、いい加減、何とかならないものかと思う。それはさておき、「主権」の問題に戻るが、内田氏は以下のような主権に関する憲法論を展開されておられる。


日本国憲法中の条項で、それに類するテクストがアメリカ人たちが参照したはずの先行憲法の「どこにも」含まれていないものは一つしかない。それは第一章「天皇」である。もし「アメリカ軍に押しつけられた」という歴史的事実それ自体がテクストの価値を損なっているということを憲法改正心理的動機に数えるのなら、「まず」改訂すべきは九条ではない(何度も言うとおり、九条は1927年の不戦条約の文言を「コピー&ペースト」したものであり、大日本帝国はいかなる軍事的強制にもよらずこの条約に調印していたからである)。もし「押しつけ」を理由に廃絶すべき条項があるとすれば、何よりもそれは「第一条天皇」である。だが、私は第一条を改訂せよ(そして「天皇制を廃止せよ」あるいは「天皇親政」に戻せ)と主張する「押しつけ憲法論者」に会ったことがない。なぜ当然「現実」となってよいはずの「第一章改訂」が議論の主題にならず、当然「現実」となってよいはずの「憲法内部の論理的不整合批判」を語る声が聞えないのか?それは「現実」と「非現実」の分岐点はどこにあるのかという問いが決して「いわゆるリアリスト」たちの思考の主題になることがないからである。*5


細かい点は『おおやにき』の大屋先生によるツッコミを参照して頂きたい*6が、天皇親政に戻せと主張する改憲論者に会ったことがない」という点に関して、「三島由紀夫」と茶化した解説しかなさっておられないので、根本的な誤解を解いておきたい。旧憲法=君主主権=天皇親政というのは、無知のみが許す暴論なのであって、歴史的な事実に反する。「明治憲法」第三条の天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」というのは、馬鹿正直に字面をおってはいけない。というのも、明治憲法の制定者たちが天皇に具体的な政策判断の責任及ばないように、天皇親政を否定することで、天皇の『神聖不可侵』性を守ろうとした」*7からである。さらに言えば、明治憲法下における枢密院というのは、その牽制役、ブレーキとして設けられたものなのである*8。ただ、内田氏の現行憲法の「論理的不整合」と第一条の改正に関しては概ね同意する。「国民主権」という言葉と「八月革命説」というのは、論理的不整合が生み出した奇妙な妥協に過ぎない。「国民主権」などと言うからには、国家以前に国民が存在しなければならない(――「鶏が先か、卵が先か」!)し、「人民主権」であるならば、そもそも君主など必要とされないであろう。


アメリカの場合


憲法改正に伴う「憲法(=国制)の論理的不整合」というのは、日本だけではなくアメリカにも見られる。実はアメリカの連邦憲法はそれ以前の連合規約を無視する形で制定されたために、憲法が違法であるという見方と連合規約が破棄されたという見方が生じた。この矛盾は最終的に南北戦争の遠因となったのだが、独立宣言や連合規約の存在を照らした上で考えると、南部連合の主張というのはむしろ道理に適っているのである。なぜなら、この道理を否定しまうと、そもそもアメリカ植民地のイギリスからの独立自体が違法になってしまう。しかし、だからこそ、独立後のアメリカでロックやT・ペインは顧みられなくなるのである。当然であろう。如何なる政体といえども分裂主義者は忌み嫌われるものである。故に州権論的な見方を否定し、このユニオンが州ではなく人民に拠っているのだとした、リンカーンの見方の方がある意味では革命(改変)的であり、またある意味では保守的なのである。リンカーンの有名なゲティスバーグ演説の訳を巡って、あれは「国民」とすべきで、「人民」は誤訳なのだと藤岡信勝氏が以前主張していたが、我輩は「人民」で正しいと考える。この演説が民主主義と言うよりは、「ユニオン」の正当化に対して向けられているからである。この点、「合衆国」という訳語は中々意味深なもので、連邦憲法の創設と南北戦争の意義をよく理解したものの様に思われる。


●イギリスの場合


これは憲法と言うより、「国体」乃至「国制」と言うべきなのかもしれないが、国体変更(改正)を巡ってイギリスでも葛藤があったようである。それは名誉革命体制と王位継承に対するもので、王位はジェームズ二世に継承されるべきであったという考えはそれなりの支持を得ていた。それはジャコバイトほど過激化しなくとも、トーリーという形で温存された。実はジャコバイトの叛乱というのはかなり熾烈で、その勢いにウィリアム三世は一時ロンドンからの撤退を真剣に考えたほどであった。名誉革命体制*9に対する困惑というのは特にトーリー史観の人々に共通して見られ、王政(国王)・貴族政(貴族院)・民主政(庶民院)という混合政体という理解で一応納得した様で、この時代のイギリス人はこの混合政体を指して、「共和国 Republic」と呼んでいる*10。なお、ピューリタン革命時の「Commonwealth」を、我が国では「共和国」と訳しているのだが、これは我々が考えるような「共和制」の概念で捉えない方がよい。要するに、これは王の私有物ではないと宣言しているのであり、こうした名称は独立以前のアメリカ植民地にも見られる。このえらくまた古色蒼然たる混合政体論がアメリカにまで影響を与えていて、アメリカの、政府構成はロックではなくモンテスキューがそのモデルである。すなわち、『権力分立論』とは、『行政』・『司法』・『立法』の三権分立ではない。彼らの考えていた権力分立論とは、『一者』(国王)・『少数者』(貴族)・『多数者』(庶民)である。なんと「混合政体論」だったのである」*11


ホッブズの「主権者」


最初に引用したのに随分遠まわしになってしまったが、ルソーらの事に話を戻す。ホッブズの場合、自然状態の混沌に秩序をもたらす主権者は『王』で明快だが、ルソーの主権者は『一般意志』と、具体的な人物ではなく、曖昧なところがある」とあるのだが、これは間違い。ホッブズが『リヴァイアサン』において、「主権権力者」の意味として用いているのは「Actor」(行為者)であって、必ずしもそれは「王」を意味しない。契約者にとっての「第三者」(⇔本人)の意味であって、個人でなくとも合議体(議会)が「主権者」になりうる。彼は「国家」を「一つの人格(Person)」と看做し、「人工的人間」とも呼んでいる。この人工物を正当化(Authorize)するのが、「本人」(Author)による統治契約なのであり、この「人工的人間」の意志として法律が表されるのである。だから、彼は「法は不正なものではありえない」*12とも述べている。機械論的な自然観と唯名論的な理性の結果、彼の国家論というのは純粋にシステムの問題なのであって、個人は端から度外視されている。この主権者などに対する誤解は、東氏当人によるものなのか、それとも引用者によるのかは分からないが、そもそもルソーにおける共和主義というのは、単純化して言えば、ホッブズマキアヴェッリなので、ホッブズに依拠した議論をすればよかったのにと思う訳である。「人間を単位にすると、必然的にメンバーシップの問題が出てくる」のが嫌なのなら、我々は機械論的世界観と功利主義以外に道を持たないであろう。


ホッブズにおける「自由」


ホッブズの自由論は『リヴァイアサン』において重要な意味を持つので、やや主権から離れるが触れておきたい。以下、第二十一章「臣民の自由について」から引いているが、大雑把な要約風に引くので、正確な文章は岩波文庫版の第二巻を参照して欲しい。


自由とは本来、反対の欠如を意味する。水が堤防や容器によってそのなかに保持され、そうでなければより大きな空間に広がるように、自由とは空間的な概念であり、運動の外的障害が存在しない事である。したがって、自由な人とは、本来の語の意味に即して言えば、「彼の強さと知力によってかれがなしうるものごとのうちで、彼がする意志をもつものごとを、おこなうのをさまたげられない人」を意味している。


自然的自由において《恐怖と自由は両立する》。たとえば、舟が沈むだろうという恐怖から、彼の財貨を海中に投じる場合、彼はそのことをきわめて自発的に行っている。もし彼が拒否しようと意志すれば、そうしうるのである。したがって、それは自由であった人の行為である。同様に人々がコモンウェルスの中で、法への恐怖からする全ての行為は、行為者がそれを回避する自由を有した行為なのである。さらに、水において、それが水路によって下る自由だけでなく、必然性も有するように、《自由と必然は両立する》。


人間は、平和の獲得と、それによる自分達の保存とのために、人工の人間(リヴァイアサン)をつくったのであり、それを我々はコモンウェルスと呼んでいる。同様に彼等はまた市民法(要するに実定法)と呼ばれる人工の鎖をつくった。しかし、人々の全ての行為や語を規制するのに十分な諸規則が規定されているようなコモンウェルスは、世界中のどこにも存在しないので、必然的に法が黙過したあらゆる種類の行為について、人々は最も彼らに有利だと自らの理性が示唆する事を行う自由を持つという事になる(=実定法によらない限り、人は何をしてもよい自由を持つ)。臣民の自由とは諸行為を規制するにあたって、主権者が黙過した事柄についてのみ存しているのである。


古代ギリシア人やローマ人の歴史や哲学において、また、彼らから政治学に関する全ての知識を得た人々の、著作や議論において、あんなにしばしば、かつ、称えられて述べられている自由は、諸個人の自由ではなく、コモンウェルスの自由のなのである。アテナイ人やローマ人は自由であったし、言い換えれば自由なコモンウェルスであったのだが、それは、誰か個々人が彼ら自身の代表に抵抗する自由を持っていたからではなく、彼らの代表が他国民に抵抗したり、それを侵略したりする自由を持っていたからなのだ。コモンウェルスが君主政治であろうと民主的であろうと、その自由は依然として同じなのである。


●ルソーにおける「契約説」


ルソーの『社会契約論』はホッブズの「契約説」を超克しようとした意図が感じられる。先にホッブズの自由観を引いたのはそのためである。

自らの自由の放棄は、人間たる資格、人間の諸権利、さらにはその諸義務をさえ放棄することである。すべてを放棄する人には、どんな補償もありえない。こうした放棄は、人間の本性と両立しない。かつまた、自分の意志からあらゆる自由を奪うのは、自分の行為からあらゆる道徳性を奪うことである。要するに、一方には絶対的な権威を、他方には無制限の服従を取り決める約束は、中身のない矛盾した約束である。(『社会契約論』第一編、第四章)


ここでルソーはホッブズの統治契約論を批判している。つまり、ホッブズにおいては主権者(主権権力の行為者)というのは契約の当事者ではなく、第三者である。各人が契約によって第三者に権利を譲渡することによって、社会(共同体)を創設し、かつ、それにおける統治行為を正当化している。このため、ホッブズにおける契約は片務的なのであり、主権者は法以外に何ら拘束される事が無い。そのためにルソーは主権の譲渡をホッブズのような主権者ではなく、社会(共同体)に対して譲渡するのである。しかし、この「各構成員は自分のもつすべての権利とともに自分を共同体全体に完全に譲渡する」(第一編、第六章)というのは、明らかに前後の論理展開が矛盾している。この契約説に対しては、ヴォルテールですら「こんなものはすべてでたらめだ」と、彼の蔵書の欄外に書き込んでいるほどだが、ルソーでなくとも積極的にある種の全体性(=モラル)を構築しようとすると、どうしてもそうならざるをえないように思われる。即ち自由主義においては全体が抹消され、部分が断片化するが、全体主義においては部分が抹消され、全体が部分化する。


第三編、第十五章において、ルソーはマキアヴェッリ的な(――市民的な徳、公的なものへの献身[Res publica]に基づく)共和主義的見解を述べている。「公共の職務が、市民たちの主要な仕事でなくなり、また市民たちが自分の身体で奉仕するよりも、自分の財布で奉仕するほうを好むようになると、そのときにはもはや国家は滅亡に瀕しているのである」。さらに「国家がよく構成されていればいるほど、市民のこころのなかでは、公共の問題が私的な問題より優越してゆく。私的な問題ははるかに減少しさえする。なぜなら、共同の幸福の総和が、各個人の幸福にとっていっそう大きな部分を占めるようになるので、各個人が個別的に配慮して自分の幸福を求める必要は少なくなるからである」とさえ言い切っている。また、第一編、第七章においては、「自由への強制」を匂わせており、このため、ルソーの契約説において、異質な他者は存在する事が出来るのか、或は私的な領域は存続可能であるのか、といった疑問を抱かざるを得ないのである。卑俗な表現で譬えれば、『エヴァンゲリオン』におけるゼーレの「人類補完計画」に似ている。あの計画自体は老人達のエゴ(「特殊意志」)なのであるが、計画が達成されて後、ドロドロに一つに解け合ってしまった(「一般意志」の体現!)人類には、もはやエゴは存在しないと強弁しうる。同様に、この「契約論」で示される一般的な意志が、ルソーの特殊な意志(エゴ)と区別しうるのだろうか。遺憾ながら、タルモンによる「全体主義的民主主義」の源流というルソーへの断罪的評価には、一面の正しさがあると言わねばなるまい。


ルソーにおいても、ルソー以外の論者においても、「主権」という概念と「一般意志」という概念は峻別されてしかるべきであるが、先の東氏を筆頭とする論者達はこれらを明確に区別していないように思われる。ルソー自身、曖昧な表現をしているが、第三編、第十五章に「主権は代表されえないが、それは、主権を譲り渡すことができない〔中略〕主権は本質上、一般意志のなかに存する」と述べている。さらには「一般意志はつねに健在であり、普遍で、純粋である」(第二編、第三章)と言っているのだが、それではかかる意志が一体如何なるところから生ずるのか、ルソーは証明していない。これでは、アプリオリに存在する(――と想定される)自然法デカルトの理性(神様の出張所!)などと、区別できないのではないか。ヘーゲルの「絶対精神」などもそうなのだが、この種の観念は理性ないし普遍性が神格化した、薄気味の悪い化け物じみたものでしかありえない。「この世の中に、名まえの他に普遍的なものはなく、なぜならば名付けられたものごとは、それら一つ一つが個別的で特殊的なものだからである」(『リヴァイアサン』第四章)という、オッカムのウィリアム以来の唯名論を発展させたホッブズの方が、まだしも論理的な整合性や説得力があるのではないか。我輩は「一般意志」という言葉を抽象的な「輿論」の意味で用いはするが、ルソー的な見解はナンセンスであると考える。ルソーのそれでは、方向性に過ぎないものが目的(――しかも、起点が明らかではない)と化しているからだ。


東氏らの議論の中でも触れられているように、ルソーは中間団体を否定しているが、それはそこに政府が収まるためである。政府は特殊意志を持つために必ず腐敗すると考え、政府は主権者の僕として、主権と臣民の間に置かれるのである。ただ、ホッブズにおける「主権者」のように、ルソーも一般意志の最高指揮下に置かれるとはいえ、「立法者」というものを置いており、その限りにおいて(――論理展開の矛盾や飛躍もあいまって)区別するのが難しい。いや、そもそも、ルソーであれ、ホッブズであれ、契約説には、「主権者」と「主権権力者」との間で論理的飛躍点が存するように思われる。カントやヘーゲルプロイセンのフリードリヒ大王を讃えたように、実のところルソーもまた「啓蒙専制」というものを否定していない。ルソーは部分的に引きやすいが*13、それ全体の議論は、時に飛躍し、矛盾し、何より破綻しているのではないか。


●結び


覚書にしては長いものになってしまった。スマートにまとめられなかった事もあって、ロックの契約説とミルの自由論を省いたが、短く言及しておくと、ロックの「信託 Trust」が現行憲法の前文に影響を与えているのだが、その対国内への「信託」と対国外への「信頼」というものは論理的に並立しえないと我輩は考えている。国家が公民を保護し、自らを自衛しなければ、公民に対する義務に違反しているし、公民に対する義務を守ろうとすれば、諸国民への「信頼」というものが成り立っていない事になる。そもそも、対外的な方の「信頼」は、双方向的でないという意味で、「信託」足りえないのではないか。仮に片務的な契約だとするならば、それでは主権の所在など最早どうでもいい事になろう。何故なら、自衛権を持たないという事は、究極的に言って主権が存在しないという事になるからである。我が国の君主*14にも無ければ、国民にも存しない。自らの運命を決し得ないという事は得てしてそういう事なのである。主権という主体性の消失は同時に諸国との繋がりも喪失する。遺憾なことに、その意味するところを、我が国の観念的な「平和主義」者は理解していない*15


内田氏などもそうだが、東氏などの議論を見ていても、そうした傾向が感じられる。国家の論理は嫌だとか、H・アレントの名前を出しながら、それこそ「特殊意志」的な事をおっしゃるのだが、国籍喪失によって、何の権利も保障されなくなった経験を持つ亡命者アレントにとって、その様な国家に対して忘恩にして、微温的な寝言は吐かなかったし、また理解もしなかったであろう。大体、アレントは「人権」などというものは「ヨーロッパ人の偽善以外の何ものでない」という風な事をのたまった人である。

*1:◎引用=http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080427/p1

*2:☆脚注:なお、アリストテレスの自然観は目的論的である

*3:★参照:木田元『新人生論ノート』集英社新書

*4:☆脚注:この点、アダム・スミスやD・ヒュームらがフランス絶対王政を擁護したのは注目に値すると言えよう。彼ら古典的自由主義者は功利主義との差異を強調されがちなのだが、体制に対して穏健派である事を抜きにすれば、さほど見解に対立はないのではないように思われる

*5:◎引用=http://blog.tatsuru.com/archives/000981.php

*6:★参照:http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000190.html

*7:◎引用・参照:井上寿一日中戦争下の日本』講談社選書メチエ

*8:☆脚注:明治憲法や我が国における立憲君主制の実態については、伊藤之雄、瀧井一博両先生のものが面白い

*9:☆脚注:それ以前にピューリタン革命で議会の権威の下に国王を処刑した過去があるので、この二つの革命はどう関連付けて叙述するか難しい。トーリー史家は「内乱The Civil War」として断罪したが、後のホイッグ史家によって再評価されもした。この両革命を総称して「イングランド革命」と命名もあるにはあるが、あまり定着していない様である

*10:☆脚注:D・ヒュームのようなトーリーから、E・バークのようなホイッグに至るまで

*11:◎引用・参照=http://blog.goo.ne.jp/william1787/e/6fbae6f127c1e52854f04a3cad8ceeff

*12:☆脚注:なお、彼においては正と善が分離している。つまり、善い法と悪い法はあっても、契約によって正当化されている以上は、論理的帰結として不正な法は存在しえない。また、ロックやルソーと違って、彼における主権者の権力は無制限である

*13:☆脚注:『社会契約論』では自然法に依拠しない実定法への批判や義務論が展開されており、これがカントに影響を与えている

*14:☆脚注:ところで、「天皇」というのは固有名詞であって、一般名詞ではない。一般的な意味において、他国の君主制と区別する必要がないのだから、所謂「天皇制」ではなく「君主制」と呼ぶべきであろう。なお、我輩自身は機関説論者であって、システム的な安定度のために、女子にも皇位継承権を認める事は、考慮に値すると考えている

*15:☆脚注:なお、我輩は所謂「普通の国」という言説に対しては否定的である。そもそも「普通の国」とは何であるのか、彼等は答えていない

モラル=全体性について


予定通りにまとまらないので、とりあえず部分的にエントリの形にしてみる。それにしても、考えを重ねて行くと、自分が意外に功利主義を否定していない事が分かって、どうしたもんかと悩む。ミルはともかく、ベンサムなどに至っては生理的嫌悪感と吐き気を覚えるほどに、思想的にも人間的にも受け付けないのだが。ただ、某大屋先生みたいに「神は必要か?」(――神と言っても自然法やら天賦説の人権の背後に居る奴の事だが)などと言い切る事には強烈な反撥を覚える。功利主義者的には、「啓蒙専制」などですら検討に値するのかもしれないな。


●全体(モラル)なき時代


オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』は大衆社会論の嚆矢とか、自然的貴族の議論ばかりが注目されがちである。甚だしきは彼の「自然的貴族」と「大衆人」の対比から、大衆人への一方的断罪という字面をなぞっただけの解釈すら為される。「運命というものはすべて、その根底においてはドラスティックであり悲劇的である。時代の危機を自分の手でしっかりと把み、その脈打つのを感じたことのない人は、運命の核心に到達したことのない人である。彼はその病み衰えた頬をなでたとしかいえない」という一文はある種の皮肉のようにすら感じられる。確かにオルテガの筆鋒は大衆に対して厳しいのであるが、彼にとって「大衆の反逆は、生命力と可能性の信じがたいほどの増加を意味する」ものでもあった。問題は、この大衆人が過去のモラルに対して敬意を払わず、しかもそれを超克する新たなモラルを形成する能力を有していなかった事にある。


ここでいうモラルとは、倫理性という意味のほかに全体性という意味で用いている。つまり、倫理においては個々の規範を包括するものである(――道徳は個人の良心と集団の倫理によってなる)。全体性は、生活においては文化であり、政治においては国体(国制、憲法)として現われる。こうした謂いが知的においてはホーリズム的、政治的においては全体主義的である事を否定はしない。「自由」の“原理化”にはなお留保すべきであると考えているからである。殊に「選択の自由」において、それは成功者の自由でしかありえない。成功を事後的に正当化するに過ぎないそれは、端から失敗者を疎外している(――だが、同時に「平等」なるものも結局はこの「自由」に対する消極的な修正主義に過ぎない)。「希望は戦争」という言葉に表れているのは、単純な意味での「戦争」ではないのだ。勿論、発言した当人はそうした背景を意識して述べたものではないだろうが、ロックなどの言説における所謂「戦争状態」であると理解した方がよい。「戦争状態」とはただ単に干戈を交えるという意味ではなくて、社会において相互保全や信頼が成り立たない事である。ここではもはや権力は規範性を失い、ただ力として振舞われる。ところで、権力と暴力、さらには影響力というものは、厳密に区別されてしかるべきである。時にマスコミを以って「第四の権力」と僭称するものがあるが、二通りの意味において否定される。第一に、法に拠らない「力」は権力ではなくて、影響力と呼ぶべきである。第二に、「権力」を称するのならば合法的でなければならない。仮初にもこの僭称が事実であるならば、法に拠らず民主的統制すら受けていない不正な権力(――と言うより不正なものである以上、権力たりえないのだが)であり、その様なものは法の支配にも、民主主義にも反する。


「問題は今やヨーロッパにモラルが存在しないということである。それは、大衆人が新しく登場したモラルを尊重し、旧来のモラルを軽視しているというのではなく、大衆人の生の中心的な願望がいかなるモラルにも束縛されずに生きることにあるということなのである。諸君は若者たちが「新しいモラル」を口にする時はそのいかなる言葉も絶対に信じてはならない。わたしは、今日このヨーロッパ大陸のいずこにも、一つのモラルの外観を示している新しいエトスをもった集団は存在しないと断言する。人々が「新しい」モラルを口にする時、それは一つの不道徳行為を犯しているのに他ならないのであり、彼らは、密輸入のための最も容易な方法を探しているのである」


オルテガは、反動の仮面を被った大衆人(ファシズム)と、革命の仮面を被った大衆人(サンディカリズム)との対立に隠れていたものを、その破局以前に喝破していた。モラル(全体性)が存在しないという事は、要するに我々が、我々の思想や営為が断片化しているという事である。思うに、それは今日の現状とて変わりは無い。果たして今の日本に、或は諸外国に、全体性を持ったモラルなど存在するだろうか。我々は実に気楽な調子で「現代」とやらを語り、「世代」とやらを論じる。然るに、果たして我々に「現代」と言うほどの同時性があろうか。「世代」と言うほどに何かを共有しているだろうか。「現代美術」を称している児戯に、枕詞以外に一体如何なる共通性があろうか。現状のグローバリズムなる概念への理解もまた奇妙である。ソ連の崩壊は確かにマルクス主義の発展的な歴史観を打ち砕いたかもしれない。しかし、それは同時に自由主義(ホイッグ)的な進歩史観の夢想すらも破壊するものではなかったか。我々は「歴史の終わり」(F・フクヤマ)に到達したのではない。歴史の目標(目的)が見失われた時、それは「『歴史の終わり』そのものの終わり」(J・ボードリヤール)を意味したのであって、我々が真に失ったのは「歴史性」という全体像なのである。(――歴史的意義のあるものとして)「湾岸戦争はなかった」というボードリヤールの言には、ある種の茶化しを超えて真理が存すると言えよう。


オルテガは「国家は一つの事物ではなく、運動である」と言った。「国家はすべての運動がそうであるように、起点と目標をもっている」。ところが、目標を見失えば、起点への信頼も当然薄れてしまう。ただ、現在に至る無数の分岐点のみが、ただ時間のみにおいて付加逆な流れに拡がって行く。国家の統一性は所与の統一を絶えず超克するという目標に掛かっている。仮初にも「より以上のものへと向かうこの衝動が衰退すれば、国家は自動的に死滅してしまうのであり、物理的に基礎が固められていたかに見える既存の統一性――人種、言語、自然の境界による統一性――ももはやなんの役にも立たない。つまり国家は分裂し、分散し、アトム化してしまうのである」。今日における道州制などの分権論などがそれの良い例であろう。進歩なき“現在”において歴史は常に退歩の可能性を秘めている。しかも、それが退歩であるかさえ、その時点では明らかではない。


●全体(モラル)なき知識


このような時代において、ある種の情熱が溢れた理念(範型)の時代から、歴史学が冷めた実証主義へと還って行く事は必然であろう。一方、社会学は最早学問として立ち直れないのではないだろうか。モデル(規範)なき時代にモデル(類型)を求める事は、端的に言ってアナクロニズムである。現に東大の情報学環の人々は社会学者を自称してはいるが、やっている事は言ったら、その多くは哲学の真似事に過ぎない。京大の大澤真幸氏もその著作にはなお見るべき点があるとはいえ、自我論やら国家論やら社会学とは随分縁遠いものである。ポスト・コロニアリズムに至っては所詮転倒した歴史哲学に過ぎまい。


思うに、彼らやポスト・モダンの思想家というのは、我らの時代のシニク(犬儒派)だったのではあるまいか。シニクは「何も創造しなかったし、何も成しはしなかった。彼らの役割は破壊であった。というよりも破壊の試みであったというべきであろう。なぜならば、その目的さえも達成しえなかったからである。文明の寄食者である犬儒主義者は、文明はけっしてなくならないだろうという確信があればこそ、文明を否定することによって生きているのだ」った。彼らは隠された権力を暴き出し、国家や共同体は想像の産物に過ぎず、伝統は捏造されたものであり、自我や個人さえも懐疑の眼差しを向ける。しかし、現実に我らは我らとして(――或る程度自己同一性を維持した存在として)生きているし、権力は厳に存在し、国家とて健在である。某国などに至っては、自国のビルが二棟ほど倒された腹いせに、二つばかし国を滅ぼすほどに活発だ。


我々は概念が語る事物そのものについて何も知りえない。我々の知識の本質は事物ではなく連関(関係と運動)であり、法則(神の見えざる意志)ではなく予期(仮定と確率)なのである。もちろん、事物の実在性が斥けられたからと言って、その存在が否定されたとは言えない。外在するものはただそこに存在している。我々は我々自身の中に内在しているのではない。我々は我々でないものに投げ掛けられる事によって現されるのである。今日、エゴイズムが「表現の自由」なり、何なり「自由主義」の仮面を被って闊歩しているのであるが、そもそも自我の覚醒とは、観る自分であると同時に、見られる自分への自覚であったはずだ。主体的な存在としては見る自分であり、客体的な存在としては見られる自分なのであり、両者はまったく不可分の関係である。


元来、「知識」とは分別の事であった。諸君らの部屋の中にカバが居ないという命題は、ウィトゲンシュタインが言うように成り立たないかもしれない(――形而上学は“在る”事のみを対象としてきた)。しかし、我らの眼前にある馬と鹿自体の存在が担保されようがされまいが、感覚器官の伝えるところに従って、我々はそれが別の生き物である事を容易に認識出来るであろう。何かを区別する力は個々の概念を認識する力に先立つ。我々は実在性そのものに対しては証明する術を持っていないのであるから、それを懐疑する事は信ずる事と何ら変わらぬ、先行する信念のようなものに過ぎない。例えば、「我輩」という存在は単に想定し、予期されて現われる「姿」に過ぎない。その「姿」は「事物」そのものではありえないが、慣習的に束ねられ、認識しうる「運動体」ではある。しかし、我輩という存在の中心は常に空虚でしかありえない。我輩が見るのはその空虚な中心を廻る周縁部に過ぎない。だが、それがどうしたのというのだろう。そうした問はただ“問い掛ける”ものであって、“問い掛けられた”ものではありえない。何故なら、そうした問に答えは存在しないのだから。我々がまず検証せねばならないのは、命題に対する答えではなく、命題そのものの妥当性なのである。

ふとした疑問


長文エントリをのんびり書きつつ(――どうでもいいことだけど、世の「アルファ・ブロガー」と称される人々は、どうしてあんなに速く、しかも大量のエントリを量産できるんだろう)、関係ないエントリやら本やらを気分転換に読んでいるのだが、小谷野敦氏のエントリに引っかかるものを覚えたので覚書風に残して置く。

古代ギリシャ・ローマ文化は中世には忘れられていて、ルネサンス期にイスラームから逆輸入されたとある。村上陽一郎がそう書いているらしく、私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い。クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』を来週までに読んでくること。アリストテレスが中世神学の柱だったことも常識である。ただ私も、プラトンは知られていなかった、と思ったが、これもネオ・プラトニストによって伝えられているから、中世は古典文化を忘れていたというのは、ギリシャ劇とか、プラトンの原典およびソクラテスに限定された話でしかない。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080501


このルネサンスなのだけど、「イタリア・ルネサンス」ではなくて、スペインのトレドを中心とした所謂「12世紀ルネサンス」の事なら、見当違いという程の事ではないのではないか。普通、西洋史において、古代というのは西ローマ帝国滅亡の5世紀末の事を指すから、古代ギリシア文化との断絶というのは、この5世紀以降から12世紀頃のそれを差すのではなかろうか。キリスト教神学においても5世紀におけるラテン教父の巨人アウグスティヌス以降、専らラテン語優勢になっているし、西欧諸語への影響(――言語学者泉井久之助の『ヨーロッパの言語』〔岩波新書〕あたりにその辺の事情も含めて色々書いてあったような、なかったような)や、8世紀のカロリング・ルネサンスもやはりラテン語が中心になっていた訳だし。


中世神学、より端的に言えばトマス・アクィナスが大成したスコラ学の元ネタは確かにアリストテレスなのだけど、それはトレドのアラビア語文献のラテン翻訳(――イブン・ルシュドなど)を通じた、言うなれば“接木”の如きものに過ぎないんじゃないのかな。大体、古代ギリシアの当時から、アリストテレスプラトン以上に忘れ去られていて、文献の散逸も多く、著作の大半は講義録に近いものに近かったはず。忘れられていたからこそ、アリストテレスの代表作は『ニコマコス倫理学』なんて変な名称になっている訳で(★要修正:詳しくはコメント欄を参照されたし)。大体、ルネサンスなんて言っても、マキアヴェッリみたいにギリシア語を解さなかった人なんてのも居たくらいだし。連続か、断絶かという問題は存外難しい。そもそも「中世」とか、「ルネサンス」がどういう性質のものなのか、定義が曖昧な面もある。


気になるのは、クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』という本。初耳である。どんな本なのだろう。グーグルでヒットするたった85件の検索結果を眺める限り、これもラテン語中心の記述なのかな。んー、気になる。

国家とその擁護のための予備的考察の覚書


●但し書き


Pingをちゃんと飛ばしているはずなのだが、どうにもアンテナへの反映が遅れているらしい。理由はそれだけではないのだが、作業中にフリーズすると怖いので、覚書を積み重ねていくという意味ではなく、その日のうちに加筆するという意味での漸化式を採用する事にする。元々一度ウェブに上げてから最終の推敲と校正をしているのだが、読み手に対するマナー上よろしくないという話を耳にしたので、あらかじめ告知しておく。それにしても今更なのだが、抽象的な話題を取り扱うとどうしても紙幅が膨らむ傾向にあるようだ。まとめる時にはシャープにスパッスパッと切って行く様な調子の文章に仕立てたいとは思っているのだが、さてさて。


●「共和主義」と「自由主義」における「信頼」


ナチズムとナショナリズムについての見解に力を入れ過ぎた結果、元来そこで主たるテーマとして敷衍されていた、「信頼」という概念への考察がおざなりになってしまった。この「信頼」という言葉に対して、良くも悪くも修正主義*1的な傾向として、近年は「ソーシャル・キャピタル」論の流行もあいまって、共和主義的な見解が広く流布するようになっている*2。しかし、特に終風翁の「信頼」観は、共和主義ではなくて自由主義功利主義のそれであり*3、根っこにあるのはジョン・ロックの社会契約説(――ロックにおける「契約」の原語は「Trust」である)であるように思われる。ロックの国家観においては司法がもっとも重要視され、それは調停者としての国家(――所謂「リベラリズム的国家観」)なのである。


●共同体(社会)は、個人の敵になりうる。


ホッブズはもちろん、自然状態を理想的に見たロックもまた自己保存を重視した。こうした身体への自由をより洗練した形で、今日の我々に伝えかけているのが、『自由論』のJ・S・ミルである。「文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使しうる唯一の目的は、他人に対する危害の防止である」*4というのが、彼の所謂「危害原理 Harm principle」である。ド・トックヴィルとも交流があったミルは、『自由論』において「多数者の専制」という言葉を用いている。ミルはこの「多数者の専制」が国家だけではなく、社会が振いうる暴力として警戒している。

思慮ある人々は、社会それ自体が専制者であるときには、つまり集団としての社会がそれを構成する個々の人間に対して専制者であるときには、その手段は、行政官の手によってなしうる行為のみにかぎられているのではないことに気が付いた。(――中略――)なぜなら、社会的専制は、ふつう、政治的圧制の場合ほど重い刑罰によって支えられてはいないが、はるかに深く生活の細部に食いこんで、魂そのものを奴隷にしてしまい、これから逃れる手段をほとんど残さないからである。したがって、行政官の専制から身を護るだけでは十分ではない。支配的な世論や感情の専制に対して防衛することも必要である。


社会や共同体による支配は、法による支配とは違って、必ずしも明示しうる形を取らないが、そうであるからこそ逆に陰湿な支配を生む。先日の覚書の方でパットナムの『哲学する民主主義』を引きつつ述べた、イタリア北部の高い制度パフォーマンスを発揮する「市民社会」と、南部イタリア(ナポリのゴミの山!)との落差は、社会が個人にとって、時に危険な存在でありうる事を、端的に指名していると言えよう。また、自治についてミルは「『自治』とか『民衆の民衆自身に対する権力』ということばでは、事の真相を伝えることはできない」と述べている。なぜなら、「権力を行使する『民衆』は、権力を行使する民衆と必ずしも同一ではない。また、いわゆる『自治』とは、各人が各人によって治められることではなく、各人が他のすべてのものによって治められることである」からだ。


●「そもそも国家とは一体何であるのか
  ――米国『建国の父』達の問い掛け」

政府の悪用を抑制するためにそのような手段が必要であるということは、人間の本性を反映するものかもしれない。しかし、政府自体が、人間性の最も偉大な反映でなくして何であろうか。人間が天使であったならば、政府は必要ないだろう。天使が統治するならば、政府に対する外的な統制も内的な統制も必要ないだろう。人が人を統治する政府を構築するに当たって最も難しいのは、まず政府が統治の対象を統制できるようにし、続いて自らを統制するようにしなければならないことである。


『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』*5
第五十一篇「抑制均衡の理論」(J・マディソン)


「政府自体が、人間性の最も偉大な反映でなくして何であろうか」。ジェームズ・マディソンはそう我々に問い掛ける。この『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』は、当時の連邦憲法の批准問題に端を発した、一種の政治抗争の一環として発表された論考であり、党派的対立抜きには語りえぬものである。しかし、この生まれたての憲法司法権の守護者であったジョン・マーシャル判事が、「マカロック対メリーランド州事件」に際して、「この規定は、来たるべき時を超えて持続し、その結果、人間に関するさまざまな危機に当てはめるべきものとして憲法に盛り込まれている」のだと述べ、さらにはアメリカ合衆国憲法「われら合衆国の人民は、より完全な連邦(a more perfect union)を形成し、正義を樹立し、国内の平安を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由の祝福のつづくことを確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する」という前文に込められた彼らの願いと精神に思い至った時、これらの論考が党派的対立(プロパガンダ)を超えて、今日なお多くの示唆に富んでいると信ずる。


この憲法に対してフェデラリストではなかったF・フランクリン博士は、憲法制定会議が頓挫しかけた際に、周囲を説得して採決を促した。

「議長閣下。この憲法草案には、私が承服できない条項がいくつかあります。しかし将来も絶対承認できないかどうか、それはわかりません。これだけ長生きしますと、最初は自分が絶対正しいと思ったのに、追加情報を得て、あるいはよく考え直した結果、重要なことがらについて後になって意見を変えたことが、何度もあります。歳を取れば取るほど自分の判断が絶対だとは考えず、他の人の判断を尊重するようになりました。(中略)ですから、私はこの憲法草案に賛成します。なぜならこれより完璧な草案は望めないと思うからであり、またこの草案が最良でないと言い切る自信がないからです。(中略)われわれ自身のために、そして子孫のために、この憲法草案を全員一致で、それぞれの州に推薦しようではありませんか。制憲会議の皆さん、まだ反対意見を持っていても自分が絶対正しいと思う気持ちをこの際ほんの少し抑えて、草案に私と一緒に署名してくださいませんか」*6

この博士の立派な態度には、どちらかと言えばフェデラリストに共感する我輩でさえ感銘を受けた。昨今の我が国会の現状を見るにその思いが深まるというものである。


●共同体の悪と人間本性


「共同体はつねに非人間的であり、それもかならず人間以下である。それは、ついには、生きた血液が流れず無知覚なるが故にもっとも危険きわまる暴君となる」と前世紀の文学者D・H・ロレンスが『黙示録論』において、例の預言者じみた口調で断言している。共同体、つまりは我々の集団意識が、まったき人間足り得ない事を指摘しつつ、彼はまたいかなる個人も純粋な個人足り得ないと喝破する。

この世に純粋な個人というものはなく、また何人といえども純粋に個人たりえない。大部分の人間は、もしありとしても、ごくかすかな個人性を所有しているにすぎぬ。彼等は単に集団的に生活行動し、集団的に思考感情を働かせているだけで、実際にはなんら個人的な情動も、感情も、思想ももちあわせてはいないのである。彼等は集団的乃至は社会的な意識の断片にほかならない。つねにそうであったし、また、今後もそれは変ることはないであろう。*7


ロレンスは言う。人間には集団的な側面と、個人的な側面とがあり、その片面だけを剥ぎ取って成り立たせる事は出来ないと。「イエスも他人の前に出るやいなや、一貴族となり、また一人の師となった。仏陀は常に王侯仏陀である。アッシジの聖フランチェスコは、彼もまた大いに謙虚ならんと努めながら、事実は弟子たちの上に絶対権力を振う微妙な手をこころえていた」。人間の権力意志は否定しきれるものではない。人が集まればそこに序列が生じ、或る者は指導者たらんと欲し、また或る者は序列に沿って、自らをその中に当て嵌める事を欲する。権力は厳に存在し、これからも続くであろう。


しかしながら、権力否定の思想であるアナーキズムが、人間の個人の尊重の思想である事を我輩は否定しない。「同じ人間でありながら、勤労する人間が、窮乏のなかに生きねばならぬことを人間性の侮辱である」*8と看做したバクーニンの思想は一面の真実があると言わねばならぬ。いみじくも松田道雄が「日本のアナーキズム」で述べているように、「理想的状況に到達するには、私たちは『個人』を支える一次集団のモラルを外延的におしすすめる方法によって可能であるのか、それとも一次集団を支えるモラルとは別個の階級という二次集団を支えるモラルを設定することによって、一次集団のモラルを無視し、『個人』を階級のために犠牲にしていいのか」という問い掛けは、現代の我々にも重く圧し掛かって来る。


「階級」という古い言葉に抵抗を感じるのならば、それを「党員」なり、「市民」なり、「国民」なりに読み換えてみればいい。どれを選んだところで同じ事だ。当時においてはアナーキストマルキストに対してモラル上の疑念を呈した。今日においては、功利主義に対して異議を唱える自由主義者の姿と重なって見えよう。そうした問い掛けに対して、留保しうる余裕や寛容さこそが、文明の精華なのではないか。どんなに正しい事であっても、一切の抗議を受け付けない様な正義を、文明的であると看做す事は出来ない。それはまったき「野蛮」である。そして、所属する共同体の違いや信念の党派を超えて、そうした対立や野蛮から個人を守る事が出来るのは、共同体ではなく国家である。文明的で、道徳的に生をまっとうし、次代に繋いでいくために、アナーキストや偉大な個人主義者達に学びながらも、自身はトーリー的心性を持つナショナリストである我輩は、だからこそ、今日の多くの国家批判者に問いたいのだ。

「政府自体が、人間性の最も偉大な反映でなくして何であろうか?」

と。

*1:*注:Revisionism。修正主義という言葉を我輩は事後的に被覆された思想、或は思想史を指して使っている。クローチェ的な現代の関心としての歴史は、この種の傾向に陥り易い。つまりは、過去の評価において現代の“前段階性”や、過去における“現代性”を強調する史観である。

*2:*注:個人的な見解としては、それは「自治」についてしか語りえない性質のように思われる。市民社会と言うよりは、地方自治(住民=地方自治体)の問題でとしてであり、国家は監督者として問題の外部に排除されている。そのためこの種の議論を下地にして、「国家」について議論する事は余り適切ではないように思われる。

*3:*注:共和主義者は共同体や市民であることの諸義務――あのマキアヴェッリでさえ、行き着く所が市民の「徳 Virtu」なのである――を強調してきたが、自由主義者個人主義と個人の諸権利を強調した。★参照:R・D・パットナム『哲学する民主主義』NTT出版

*4:☆引用:訳文は岩波文庫版から引かせて頂いているが、これから読む方には光文社古典新訳文庫版をお薦めする。

*5:☆引用:http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-outline-government02.html なお、この訳文は他の翻訳と比べるとかなり大胆な意訳で、正確な訳文は岩波文庫か福村出版の『ザ・フェデラリスト』を参照して欲しい

*6:☆引用:阿川尚之憲法で読むアメリカ史〔上巻〕』

*7:☆引用:D・H・ロレンス『黙示録論』ちくま学芸文庫

*8:★参照:『現代日本思想大系16 アナーキズム筑摩書房

歴史と文学についての覚書


●誤解への弁明

「人間は事実を前にすると、きまってその真相を求めることよりも、理由を求めることに没頭するようである。事物をほったらかして原因を論じることに没頭するようである」(――モンテーニュ『エセー』)


思想史的な話を敷衍し過ぎたために、かえって要らぬ誤解を与えてしまったようだ。ここは一旦、歴史の話から我輩が本来意図した論旨(――筆が及ばなかった我輩の自業自得なのだが)に立ち返って説明したいと思う。少々不恰好だが、先に結論を述べておく。つまるところ、「歴史に理性(意志、法則)は貫徹されない」(――なお、我輩は純粋な意味での「本能」は動物においてすら存在しないと考えている。それは自然に貫徹される意志があるなどと考える様なものである)のであって、ヘーゲルとその亜流のマルクスのような歴史を「自由なる絶対精神の自己実現過程」(ヘーゲル)と見るのは全くナンセンスであるし、ヘーゲルよりは遥かに控えめであるが、歴史にある種の理性を見ようとしたランケら歴史主義派の歴史家の見解もまた誤りである。


そもそも古代ギリシアの哲学や思想、精神をヨーロッパ人が継承してきたなどという妄想は、所詮、近代のドイツ観念論哲学史家の修正主義的見解に過ぎない。ルネサンスに光を見出したのは彼ら近代人であって、中世を暗黒時代と看做したのもまた彼らなのである。古代から中世期において古代ギリシアの哲学を継承していたのは、ビザンティンであり、イスラームである。それは当時の西欧人がまったくギリシア語を解さなかった事から明らかであろう。ある種の連続性への願望がありもしない統一的な世界観を夢想させるが、そのような考えは所詮夢であり、一炊の間に潰えるほかはない。グローバリズムは距離を狭めはするだろうが、異なる時間軸をまとめあげることは現に挫折しているし、将来においても成功することはありえまい。


「普遍」に対するこの様なやや懐疑主義的な考え方を持つ我輩が、東浩紀氏や宮台真司氏、宇野常寛氏らによる批評に反発を覚えるのは、彼らが個々の作品を個々の作品において掘り下げていくのではなく、余人には理解し難い珍妙な理論を作り出し、そこから同時代の諸作品を選別した上で語り、それを批評などと称している事だ。「われ(かれ)の物語」でも、「われわれ(かれら)の物語」ですらなく、批評する個人の物語に諸作品を従属させるような行為に、堪え難い不快感を覚えるのである。彼らはホーリストではないが、同時に個人主義者でもありえない。この奇妙なキメラ(――或はホムンクルスと呼ぶべきかもしれない)達を前に強い反発を抱きながら、明確に表す言葉を持てないで居る。我々は不用意に「現代」なるものを語る。しかして一体、そもそも「現代」とは何であるのか。「現在」を貫く何がしかもの(――理論であれ、概念であれ、思想であれ、文化であれ、宗教であれ)を我々はなお想定しうるであろうか。しかも、そうした全体像は常に個人主義に、自由主義に、全く反するのである。だからこそ、今日悉く一切の物が断片と化し、消費する物は豊かになれど、生活は益々部分化されてしまう。それでも、我々が営みとして何かを語ろうとする事は、果たして可能なのだろうか。


●アナロジーの危険性


我輩がいろいろな意見を引きつつ遠まわしに述べようとした事を、『ド・シロート考え』というブログの執筆子がよりスマートな表現で述べておられる*1。つまり、「歴史を軽視する気はないが、精査しても現代に当て嵌めることは割と難しい」という事なのだが、換言すれば、歴史を安易にアナロジーとして用いる事は危険であるという事になろう。科学的な知見を科学的な文脈から恣意的に抜き出して、それをアナロジーとして用いる事は「ソーカル事件」以降、人々の自制を促しているようである。しかし、「統治者が自分の身近な過去から類推例を導き出し、そこから外交政策をつくるが、その多くに『歴史の誤用』が存在する」*2事を指摘した外交史家アーネスト・メイの“教訓”はあまり守られていないようである。歴史を慎重に検討する事によって、そこから有益な“教訓”を導き出せる事自体は否定していないが、近現代の外交史という遥かに身近で、限られた分野ですら、多くの間違ったアナロジーが導き出されたという事実をメイは指摘している。すべからく、歴史一般に対してはさらなる慎重さと一層の禁欲を求められるべきであろう。


広い意味での歴史に対する態度として、近代ドイツ史家だった林健太郎の以下のような考え方や警句は今日においても示唆に富んでいる。少々長いが二つほど引用させて頂く。

一般に私は歴史に対する見方として、その中における人間の意志の現象としての行為の能動性――それは主体性という言葉で呼ばれることもある――、歴史の進展に対する個人の役割を重視する立場に立つ。科学性を標榜する歴史家はとかく、たとい「必然理論」の唯物史観をとらなくても、事物の結果からそれ以前の経過を判断する傾向があり、歴史の中に存在した複数の可能性、その中における人間の決断とその行動の責任性を見逃すおそれとしない。私は人間を集団的に考察する社会史を軽視するものではないが、しかもなおその中で歴史学が本来課題とした個々の事物、事件の究明とその解釈を重んずる所以もそこにある。(――林健太郎『昭和史と私』文春文庫より)

自由主義の強調が戦後の日本においてとくに必要とされるのは十分の理由がある。それは一口にいって、日本では明治維新によって社会の近代化を開始して以来一世紀近くを経ているにもかかわらず、その基礎をなすべき近代精神の確立がはなはだ不十分だということにある。このことが現代日本の社会に独特の歪みを与えているのであるが、この歪みというのは現実と精神の間のギャップから生じているのであって、これまでしばしばいわれたような現実の歴史過程そのものの中にあるのではない。明治維新は不徹底な革命であったとか、この革命における民衆の要求が資本家、地主によって抑えられたためにその後の歴史が誤った過程を辿ったとかいうようなことがよくいわれたが、それは正しい歴史の見方ではない。かえってそのような歴史の考え方自身に認識の歪みと立ちおくれが存在するのである。皮肉なことに現代日本の社会において一番おくれているのは民衆や実業家あるいは政治家ではなく、みずからもっとも進歩的なりと称している一部の知識人である。しかもそれらの知識人がオピニオン・リーダーとして相当の勢力を持っているところに、現代日本の最大の問題が存するのである。(――林健太郎「現代における保守と自由と進歩」より)


赤木智弘氏のこと


ところで、終風子は『極東ブログ』の「[書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」*3において、「(引用者注:高橋氏の言うような新旧の)価値観の衝突は、糞ブロガーの視野では、「若者を見殺しにする国」(引用者注:赤木智弘著)といった不思議な歪みに変形しているようにも思われる」とさらりと触れておられるのだが、我輩はもっと単純に考えるべきであると思う。赤木智弘氏は高橋源一郎赤木智弘の『「丸山真男」をひっぱたきたい』は石川啄木の『時代閉塞の現状』とそっくりだと指摘している」*4のに対して、上記参照ブログのコメント欄においてこう答えておられる。

私はかつての状況と現在がぜんぜん類似しているとは思わないですけどね。だいたい、そこで論じられているのは、当時に大学に行けるようなエリートであって、「下宿屋でごろごろ」というのは、どん詰まりのフリーターではなく、ただの裕福なニートです。そして、最たる違いは、「彼らに何十倍、何百倍する多数の青年」の存在です。すなわち当時は貧困こそマジョリティーだったわけで、社会そのものが貧困であっても生活できる状況だった。しかし今は貧困者はマイノリティーに過ぎず、貧困では生活できないのです。私はケータイ小説なんか書きません。そんなものは裕福なニートがひまつぶしに書くものです。ケータイ小説に重要なのは、作品性でも緻密な描写ではなく、ただ「共感性」です。そして、共感されるのはその状況がマジョリティーの現状、もしくは心象風景だけです。それこそ、貧困者がケータイ小説を書いて共感されるとしたら、それは安定労働層というマジョリティーにとって「有益な」貧困のあり方を提示したときですね。「ダメ連」とか「素人の乱」とかの、貧困者が自ら「私はもう降りた」という降伏宣言に対して、安定労働層は安心して共感するわけです。しかし、私はあくまでも安定労働層と同等の幸福を要求するから、いろんな人から「貧困者は貧困者らしくしろ」と、批判されるのです。だから、私は安定労働層に共感されるものなんて、絶対に書きません。


この赤木氏のコメントは直観によるものであるにせよ、高橋源一郎氏の凡庸な批評と比べると、まことに遺憾ながらそこに光るものを見出さざるを得ない。もう随分と昔、すでにこうした石川啄木の「時代閉塞の現状」に対する純朴な読みに対して福田恒存が「個人主義からの逃避」*5において批判している。


福田は「大ざつぱにいへば、日本の近代文学史は個人主義の成立と挫折の歴史だつた」と述べた上で、この「個人主義の挫折」を「時代閉塞の現状」のような言葉を手がかりに「社会的、経済的条件のはうから、個人主義の挫折を説明していかうとするやりかた」を批判している。つまり、「文学史家なり批評家なりが、みづから考へることをやめて、その対象としてゐる文学史のうちに登場する作家や批評家、ことに批評家の言葉を通じて、かれらの精神や時代を理解しようとすること、それが思考的怠惰からくるあやまち」である。なぜなら、「作家が自己について語つたことを、そのまま受け入れるくらゐ、素朴な態度はない」からだ。「『時代閉塞の現状』といふような言葉を、そのまま真に受けてさういふことをいつた主体側の無意識の領域まで遡らうとせず、逆に客体側の現実をひつかきまはして、その言葉を立証するのに好都合な資料を並べたて、それで文学史が出来あがるといふ珍妙なことがおこなはれ、それが誰にも疑われぬままに公然と通用してゐる」と当時の唯物主義(――具体的に言えば、久野収鶴見俊輔など)的な解釈を痛烈に批判している。


後で追記するかもしれないが、とりあえずこの辺で一旦筆を擱く。

*1:★参照:http://masuda39.blog96.fc2.com/blog-entry-4635.html

*2:★参照:アーネスト・メイ『歴史の教訓』

*3:★参照:http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_b799.html

*4:★参照:http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080216

*5:※注:引用はすべて『福田恒存全集』に拠るが、原文は正字正かなである

ナチズムとナショナリズムに関する覚書


●但し書き


少々必要とする資料、参考書を読むのに時間が掛かりそうなので、とりあえず漸化式に覚書を残し、それを後々、『浩瀚堂』の方で綺麗にまとめた形でアップしたい。ちょうど世界連邦とナショナリズムの話とも繋がるので、カント以来の普遍史的な世界観との連関を示しつつ叙述出来れば良いのだが、如何せん大き過ぎて手がまわらないかもしれない。


東浩紀氏と『極東ブログ』の執筆子の終風(雅号に付き敬称略、以下同)がナチズム(その臨界点としてのアウシュヴィッツ)とナショナリズムの解釈を巡って、小さな論争*1が起こり、主にはてなダイアラーの間で話題になった*2。我輩個人は後者の考えに近いが、すべてにおいて同意するという訳ではなく、むしろ見解の異なる点も多いのだが、さしあたって明らかに間違いが多いと判断しうる東氏の見解についていくつか反駁と疑問を呈したい。


●文学愛好家と歴史愛好家の憂鬱


http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20080403/1207197895
赤木智弘著『若者を見殺しにする国』のキャンペーンサイトである『希望は、戦争?blog』で、ほとんど唯一見解を共にしうるのが、鮭缶という筆名の執筆子なのだが、子は当該エントリにおいて、『αシノドス』 における中島岳志氏と芹沢一也氏との対談を批判して、「ある側面を切り取って一般化するのは『歴史学者』のすることではない」と少々茶化した文体で苦言を呈しておられる。こうした事は昨今の宮台真司氏の歴史に関する言説や宇野常寛氏の「ゼロ年代」論、さらには今回の東浩紀氏の言説にも感じられる。


例えば、

ナショナリズムの歴史が全体主義の歴史と密接に繋がっていること、そしてその臨界点がナチスドイツの強制収容所であることは、思想史的にはよく言われていることなのではないでしょうか」

「とにかく、人文系や思想系にもそれなりの蓄積があるんです。それにも常識的な敬意と関心を払ってください。心からお願いする次第です」

といった件である。我輩は単なる読書好きであって、その種の専門家ではないが、我輩の読書生活においてその種の言説は記憶の限りではこれが初めてである。


ナチズムに関連する本で代表なものをあげれば、マルクスフロイトを応用したE・フロムの権威主義的パーソナリティで説明される『自由からの逃走』だとか、サンディカリズムファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現われた」という大衆社会論の嚆矢となったオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』やオルテガと同じく伝統と新たに出現した大衆社会にして批判的な態度を取ったJ・ホイジンガの『朝の影の中で』で展開されるような大衆社会ファシズムを結び付けて批判するもの――「かつての時代の農夫、漁夫あるいは職人といった人びとは、完全におのれじしんの知識の枠内で図式を作り、それでもって人生を、世界を測っていたのである。自分たちの知力では、この限界を越える事柄については、いっさい判断を下す資格がない、そうかれらは心得ていた。いつの時代にも存在するほら吹きもふくめて、そうだったのである。判断不能と知ったとき、かれらは権威をうけいれた。だから、まさしく限定において、かれらは賢くありえたのである」だとか、特殊ドイツ的な事情、即ちロマン主義の破産とルター主義下の世俗主義に求めたH・プレスナーの『ドイツロマン主義とナチズム』などが有名である。ナショナリズムが強調されるのはむしろ第一次世界大戦の歴史書においてであって、ナショナリズムが第一義において、国民国家の樹立の運動であったという事実を我々は銘記しておくべきであろう。


東氏が取り上げているH・アーレントの『全体主義の起源』は近現代の思想史を洗い浚い総点検する様な浩瀚過ぎる文章に途中で挫折してしまったので、我輩は詳しく知らないが、こちらのブログ*3の「アウシュヴィッツナショナリズムとは同じ話か?」というエントリで引用されているアーレントの文章を読む限り、東氏の誤読か、或は記憶違いの可能性が高い。そもそもナチスが称揚したのは「国民(Nation)」ではなく、実に特殊ドイツ的な(――それは優越性と履き違えられやすい)神掛かった「民族共同体(Volksgemeinshaft)」という概念だったのであり、その実態は前代の思想の寄せ集めに過ぎなかった。彼らのイデオロギーは何より「否定の優先」だったのであって、そうした意味でナチズムは極めて虚無主義的であった。彼らが否定したもの――個人主義自由主義、民主主義、議会主義、資本主義、カトリシズム、マルクス主義(ボリシェビズム)、そしてユダヤ人。彼らの特徴はその否定面の強調であり、だからこそ、東西分裂後にナチズムのマルクス主義との対抗という側面が、逆説的にはあるが、強化されて理解されてしまうのである。


反ユダヤ主義とヨーロッパ主義


反ユダヤ主義というのは広くヨーロッパに見られた現象である。かと言って、ナチが特別悪かったのではない、といった論法を用いるつもりではない。この場合、程度の差が破滅的な結果を招いているのであるから、それは厳格に認識せねばならない。アーリア人優等人種説が有名なナチスであるが、同時に彼らはヨーロッパ主義を掲げていた。日中戦争時に、ある種の懐柔工作として日本軍が中国文化(具体的に言えば図書や建造物)の保護に乗り出し、その際に模範となったのがヒトラーのドイツであった。

「ドイツ占領下の欧州を視察した山下奉文陸軍中将が感銘を受けたのは、フランス人によって建てられた第一次欧州大戦の記念碑をヒトラーのドイツ軍がそのまま大切に保存していることや、ベルギーの民家に分宿するドイツ兵が屋根裏や地下室に潜り込んで、一般市民に迷惑をかけまいとしていることや、あるいはイギリス軍の焼夷弾で焼失しかけた教会を守るために、ヒトラーが工兵隊を派遣したことなどであった。――中略――ヒトラーは、ヨーロッパの歴史と伝統に回帰し、古き良きヨーロッパとドイツとの一体感の形成をめざすことで、眼前の侵略と迫害を正当化した」*4

こうしたヨーロッパ主義に賛同し呼応した知識人が、ヨーロッパ各国に少なからず存在する。中でも有名なものはナチズムに傾倒していたアメリカ人飛行士リンドバーグやフランスの対独協力者「コラボ」であり、中でもセリーヌなどは明確に反ユダヤ主義者であった。要するにナチスはドイツだけでなく、ヨーロッパの異分子としてのユダヤ人を抹殺しようとしたのである。


●歴史的文脈における「市民社会


ある種の欧化主義者が「市民社会」という特殊ヨーロッパ的な物を礼賛したために、「市民社会」というものの歴史的な理解に奇妙なねじれを齎している。「市民社会」というのは西欧に見られる特殊な社会形態の一つに過ぎず、また、ヨーロッパの全てが市民社会であった訳ではない。さらに言えば、「市民社会」を近代的なものと看做す事が多いが、実際には中世都市に端を発しており、むしろ前近代的な点においてこそ、その特徴がある。だからこそ、ヘーゲル市民社会の超克(Modernization)としての民族共同体(Nation State)、即ち「国民国家(Modern State)」を彼の思想において目指したのであった*5。フランスに対する“後進国”ドイツの現状を憂え、さらにはイエナにおいてナポレオン*6を目撃した彼にとって、市民社会は超克されるべき対象なのである。そして、近代国家の下にあって「市民社会」は、はじめて“近代的”足り得たのだった。


この前近代的(近代国家以前)としての「市民社会」(共同体)的なニュアンスを感じるのが今回の論争に付帯して叙述しておられる『地を這う難破船』というブログの「マフィアの論理とナショナリズムの論理(正義の実装)」*7というエントリである。独特の断言を回避する生硬な文体故にところどころ我輩には理解しかねる部分があるが、少なくとも「マフィアの論理」というものは少々レトリックとして不適格である様に思われる。そもそもマフィアというものはイタリアの近代化の特殊な文脈として理解されるべきであって、一般的な概念として用いるべきではない。「マフィア」は純粋に前近代(封建時代)のものではないし、無論の事、近代のものでもない。それは近代化によって歪みが生じた、言うなれば、近代化によって変質した前近代性なのである。その歪みが近代社会にとって有害なだけなのであり、その歪み以外は単なるならず者、何時如何なる時代にも存在する法からの逸脱者に過ぎない。


歴史的文脈から言えば、イタリア北部が古代からの都市国家性を温存し、まさに「都市は人間を自由にする」という空気のもとに共和主義的な市民社会を形成していたのに対し、南部、特にシチリアを支配した外国勢力(ノルマン、カスティリヤ、ブルボン)は、極めて専制的な支配を布いた。すでにルネサンスの時代から、ナポリ王国のような市民的平等が存在しない地域では共和政体が樹立される事はありえないだろうとN・マキアヴェッリは喝破している。つまるところ、イタリアの北部における近代市民社会の伝統は、中世市民社会の良き遺産なのである*8


●歴史的文脈から見た「統合」乃至「中央集権」


市民社会」と同じく誤解を受け易い歴史的文脈にヨーロッパ各国に対する中央集権のイメージがある。即ち、フランスやドイツが強い中央政府を有した集権的な体制であり、イギリスが弱い中央政府と分権的な体制を有していたという誤解である。『アングロサクソン年代記』という古文書によるとノルマン・コンクェストの結果、原住のサクソン人貴族は数名を残して悉く殺害されたという。そのため、このノルマン人による征服王朝*9は当時のヨーロッパの諸国とは比較できないほど強固な王権を有していた。このノルマン王朝の形式上の主君であったフランス王はパリ近郊の大貴族に過ぎなかった。無数の領邦が散らばり、ほとんど象徴的な意味しかなかったドイツ皇帝などと比べ様が無かったのである。そのために以後のイギリス史というのは、弱小な貴族達の強力な王権に対する挑戦であった。それが「マグナ・カルタ」であり、「模範議会」であり、「大諫奏」であり、「権利の請願」であり、王殺しのピューリタン革命という臨界点の後に、緩やかに「議会の中の王」という着地点を見出して今日に至っているのである。これと逆の運命を辿ったのがフランスであり、ドイツであり、イタリアであった。フランスは王権の絶対化とパリ一極集中の真っ最中に革命が起こるという混乱が生じた。或はド・トックヴィルにならって、すでに集権は完了しており、革命によって強化されただけと看做す事も出来るかもしれない。さらに言えば、革命の最中に起こったヴァンデ戦争はまさに集権化に抗う共同体と隆盛する国民国家との(過渡期的な事件としての)戦争と言えよう。


さて、問題はドイツである。ドイツはフランス以上に混迷を極めていた。ドイツのナショナリズム領邦国家だけでなく教会権力とも戦わねばならかった。俄かには信じ難いのだが、H・プレスナーの『ドイツロマン主義とナチズム』によれば「アウグスブルグの和議」以降、“領主”が領国の宗教を選び、個人で選ぶ事は出来なかった。なんとこの一種の領国単位での国教会は“第一次世界大戦の敗戦時”まで存続し、その後のワイマール体制の下で解体せられたとはいえ、補填として政府は所得税の“一割相当の教会税”(まさに十分の一税。これもまた伝統と言えようか?)代理徴収し、この制度は何と“現在でも続いている”のである*10。この世俗の大地を縦横に走った地裂を埋める事はあの偉大なるビスマルクをして不可能であった。北部プロテスタントと南部カトリックポーランドの汽水域としての東プロイセン、さらにはベルリンとウィーンの二者択一。小ドイツ主義以外は選択の余地が無かったにも関わらず、それでもこの奇妙な捩れは今日でも解決されないであろう。一体、ドイツ人の国とは何処までを指すのか。


こうした状況をさらにややこしい事にしたのが、前世紀のネオコン、ウィルソン大統領の民族自決ベルサイユ条約で禁じられたドイツとオーストリアとの合邦との原則上の“捩れ”である。そういう意味でプロテスタントが多かったナチにあって、ヒトラー自身はカトリック系のオーストリア人であった事実は興味深い。先のプレスナーカトリック下の世俗主義(フランス)とルター主義(ドイツ)下の世俗主義を対比して、後者にナチズムの遠因を求めているのであるが、フランス革命ジャコバンのテロル政治を考慮すれば、必ずしも妥当な見解とは言えない。ただ、日本でも好まれるベンヤミンの「政治の美学化」という見方よりも、こうした「政治の神学化」といった見方のほうが妥当である様に思われる。つまり、世俗的かつ反自由と言う意味で普遍的な“教会”が地上の統治に乗り出したのである。一面では断片の寄せ集めあるそれは、また別の一面では断片を散り散りになるのを留めていた。それは神無き時代の倫理であった、否、倫理の代替物であった(神無くして倫理が倫理足り得ない事は「力への意志」を掲げたニーチェの挫折によって明らかであろう)。その倫理から弾かれたものがユダヤ人であり、その専制的な顕現が「アウシュヴィッツ」だったのではないか(まさに「アウシュヴィッツに神は居なかった」のである……)。


アナクロニズム或は“新しい「中世」”として。


戦前において、ナチス・ドイツを「新しい中世」と呼んで批判したのは、ドイツ文学者で一高教授だった竹山道雄である。ここで触れるのは、彼の講演そのものではなく(――アイデア上のインスピレーションは受けている)、ロシアの神秘学者N・ベルジャアエフにおけるそれである。ベルジャアエフは「近代を中世と同様にキリスト教時代――とはいえ、神を失ってしまったキリスト教末世の時代――科学、ヒューマニズム自由主義個人主義マルキシズムが神の代用品として登場する歴史の終末期」*11と見た。彼が見たのはファシズムではなく、ロシアのボルシェヴィズムであったが、結局のところ両者は「近代」が生み出した双子の鬼子ではなかったか。つまるところ、「反近代革命」(或は“近代の超克”)としてのファシズムであり、ナチズムであり、共産主義革命である。


かつて伊藤隆氏と山口定氏との間で「ファシズム論争」というものが存在したが、そこで問題となったのは日本におけるファシズムの定義の曖昧さであった。ファシズム国家主義ではありえない。何故ならそれは国家を飲み込む党派であったからだ。戦前の日欧の先進国にとって中国国民党とは「赤」であると看做された時期があった。何故なら中国国民党ソ連が支援していた(国共内戦時すらソ連は国民党を支援していた)し、蒋介石が実際に布いたのは一党独裁であって、それはヨーロッパ人にボルシェヴィズムによる専横を連想させるに余りあった。


ある党派が国家を乗っ取ってしまう事例は歴史に枚挙が無い。フランス革命は絶え間ない党派抗争の連続であり、勝者は敗者を弾圧した。憲法も国制も短期間に目まぐるしく転変した。同時期のアメリカ史においてフェデラリスト政権の第二代大統領ジョン・アダムズからリパブリカンのジェファーソンに平和裏に政権が移行された事を革命と称している事は、決して、過大な評価とは言い難いのはこのためである。今日においては、中国共産党の一党支配*12などはこうした事例の一つと言えよう。


時に「人民元」という呼称を我が国では慣例的に為されているが、これは誤りで、正式名称は「人民幣*13であり、国際的な略称もそれに準じた「RMB」である*14。国民党の通貨が法に基づく「法幣」であるのに対し、こちらは人民に基づいており、厳密に言えばこれは国家の通貨ではない。同様に国家の役職もまた党の役職が先行しているのであり、このようなものを国家と呼べるか大変疑わしい。“新しい「中世」”という言葉で我輩が言い表そうとしているのは、つまり、ナチスソ連は国家と言うよりもむしろ世俗化した教会と言った方が実際に即しているのではないか、という推理である。


少々疲れたので、ここで一旦筆を擱く。

*1:★参照:http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html ★参照:http://www.hirokiazuma.com/archives/000395.html ★参照:http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080421/1208747769

*2:★参照:http://d.hatena.ne.jp/kouteika/20080422

*3:★参照:http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080421/p2

*4:☆引用:井上寿一日中戦争下の日本』

*5:★参照:G・W・F・ヘーゲル精神現象学

*6:ヘーゲルは「馬上の世界精神」と呼んだ。なお、我輩は「チビで、デブで、ハゲの、田舎貴族のイタリア人」と呼んでいる

*7:★参照:http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080422/1208823011

*8:★参照:R・D・パットナム『哲学する民主主義』

*9:しばらくの間、この宮廷ではフランス語が話されていた

*10:本書出版時は1995年。2008年現在では未確認

*11:★参照:「反近代の思想」名義は福田恒存だが、若かりし頃の西尾幹二氏の筆によるものらしい

*12:厳密に言えば旧国民党左派など幾つか他に小政党が存在する

*13:おそらくは国民党政権下の「法幣」に対抗する意味がある

*14:★参照:田代秀敏『中国に人民元はない』

社会契約説と自然法についての覚書


『物語三昧』というブログの執筆子が、
社会契約と自然権を軸にアメリカについて
エントリで対話なさっておられる。
★参照:http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080419/p8


中々興味深い対話ではあるのだが、
いくつか異見を抱いたので、
それに関していくつか述べて置きたい。
本日は契約説のほうを大雑把に、
後日(明日?)、東浩紀氏の実に不愉快な、
ナショナリズムに関する見解に対する反駁とともに
普遍史についていくつか記述したい。


それは「大きな物語」がどうこう以前に、
そうした見方は正しいのか、という疑問である。
たとえば、世界史などというものがあるが、
そもそも世界史に統一的な意味などあったろうか。
いや、そもそも世界史などというものが、
仮初にも成立しえた時代があったろうか。
国家や共同体が幻想であると言うならば、
それが割拠する世界もまた幻想であろうし、
属する個人もまた幻想であろう。
ある種の起源論争が国家に目的を求める余り、
それの手段としての性格を失念させる。
それが“運動体”として性格を持ち、
国家理性という意志が仮定され、
未来に投げ掛けられるのであるならば、
そもそも統一的な起源など必要とはしないであろう。


さて、「社会契約説」や
自然法」といった概念は、
用いた論者によって
意味がかなり異なるので、
こうした概念を用いる時は、
――少なくとも、歴史的に語る限りにおいては、
少々慎重にならざるを得ない。
即ちジョン・ロックの契約説と、
ホッブズ、ルソーらのそれは、
下地になっている「自然」観からして、
かなり異なった様相を見せているのである。


オーソドックスに、年代順に述べれば、
まずはトマス・ホッブズであるが、、
ホッブズは機械論的な自然観を持ち、
自然には目的が無いと考えていた上に、
彼の生きた時代の熾烈な宗教戦争への反省から、
「普遍性」というものに対して
かなり懐疑的な見方をとっていた。
後述するが、神の存在を前提に置いていた
ロックと違って今日ホッブズが読まれ続けているのは、
そうしたパワー・ポリティクス的世界観の故であり、
今日でも国際関係論の論者達が、
少なからずホッブズに依拠している。


さらにはイギリスにおいて花開いた
普遍的なものは言葉のみであるという、
唯名論」を継承していた彼にとって、
自然状態とは法が無い状態であり、
無いが故にそもそも罪も存在しない。
人間は自然によって結びつかず、
国家は人間の意志の所産、
即ち人工的(artificial)なものと捉えた。
彼の統治観(法律観)はその延長で、
「Person」(人工的人格)が「Actor」(主権者)であり、
法律は主権者の意志であると考えられる。
彼の「契約」(法律―意志の正当化)観とは、
「Author」(本人)同士の横の契約によって、
Authorize(権威付け)されたものなのである。


三十年戦争ピューリタン革命を生きた
ホッブズから下って名誉革命に生きた
ジョン・ロックにとっての「契約」と
「自然」とは何であったか。
実のところロックはそれについて
語っていないのである。
彼の『統治論』は自然法を前提としており、
そのために「第一論文」で
王権神授説のフィルマーとともに、
自然法掲示した「国際法の父」
グロティウスを批判しているのだが、
肝心の自然についてほとんど説明が無い。


実のところロックにおいては、
「神の存在」を前提としてしまっているのであって、
道徳や神の存在を自明視したが故に、
ホッブズや或は下って功利主義のミルと比べると、
まったく顧みられない存在にならざるえないのである。
ロックが読まれなくなったのは、
現在の話だけではなくて、
実のところ独立後のアメリカにも当てはまる。
よく言われるように、
「独立宣言」はロックの影響下にあったが、
独立後の連邦憲法の制定者たち(建国の父)に
強く影響を与えたのは、
モンテスキューなのであった。
★参照:http://blog.goo.ne.jp/william1787/e/4d4a55cdb1e1554350f66edabe217e7b
    http://blog.goo.ne.jp/william1787/e/6fbae6f127c1e52854f04a3cad8ceeff)


ところで、資本主義の精神でよく言及されるのは、
ヴェーバー的なピューリタニズムであるが、
我輩はそうした一種の成功哲学には、
むしろ「所有権」を神の意志と見たロックの
労働賛美に影響があるのではないか
と根拠の無い憶測を最近抱いている。


ロックの契約説と言えば、
革命権を特色として強調されがちであるが、
ホッブズのそれと契約の主体自体異なる。
ホッブズが人民と主権者の一方向的な契約なのに対し、
ロックは人民と政府との間に共同体を置き、
この共同体と政府の双務的な契約、
「Trust」がロック流の契約観である。
そのため、ロックの国家観というのは、
リベラリズム的な調停者として国家なのであり、
それ故に彼の権力分立論は二権分立なのであった。


最後のルソーであるが、
これはかなり特殊なので、
下手に利用すると
こういうミスをするので注意が必要である。
★参照:http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000423.html


時として全体主義の源流とも
看做され批判されるルソーであるが、
一般意志は当時の普遍主義、
立法者(主権者)の方は啓蒙専制の文脈で
理解されるべきなのかもしれない。


具体的な異見についてであるが、
 「契約は現実対処」だけど
 「自然権は神話(根拠の創造)」に過ぎない
という見解についてである。


B・ラッセルは『西洋哲学史』において、
社会契約説を“解説的神話”と呼んだが、
これは的を射た見解であるように思われる。
彼以前にもそうした批判を為した人は多いが、
代表的な批判者をあげるとするならば、
トーリー史家にして、経験論の哲学者、
D・ヒュームのそれであろう。
つまり、歴史上そのような「契約」は存在しなかったし、
存在したとして、父祖の同意が
その子孫を後の後のまで拘束するという
“仮定”は不合理であって、
服従の義務について説明に
なっていないというものである。
(「原始契約説について」)